お世話になっている和尚様から、思いがけず持鈴を譲り受けることになった。
四国遍路をされた際、ずっと身につけておられたものだという。華やかな香りに満ちた本堂で、興味を示した私に、その鐘を振って鳴らしてみせてくださった。
「本当に、この音だけを頼りに歩きました」
その言葉に、修行の厳しさが静かに滲み出る。
四国遍路は、多くの人に開かれた巡礼である一方、実際に歩き切ることの重みは、経験した者だけが知る。
ご自身で編まれた草鞋を何度か履き潰しながら、この持鈴を下げて歩かれたという道筋には、修行の凄みが、言葉少ない中に宿っていた。
「草鞋は本当に歩きやすいんですよ。でも、草むらを歩くときは、マムシが怖かったですね」
マムシの危険とも背中合わせの日々を、こともなげに口にされる。
その和尚様の大きな羽の下で、私たちが高知で営む造仏もまた、守られ、育まれてきたのだと思い、夫婦で自然と頭を垂れた。
年明けに、ある造像に先立ち、当工房で「ノミ入れ会」を執り行うこととなった。その段取りについてご助言をいただいていた折のことであった。
「これ、あげますよ」
そう言って、燭台とともに、この持鈴をあっさりと手渡してくださった。
さらに、お経の順番や節回し、その意味まで、一通り丁寧に教えてくださる。最後に「大丈夫、大丈夫。心がこもっていれば」と、背中を押してくださった。
自宅で鳴らしてみる。
「チリーン」と澄んだ伸びやかな音色が、空間をすっと清めていく。
別室にいた娘がひょこっと顔を出し、「それちょうだい!」とねだるほど、抗いがたい綺麗な音である。
たとえ十分な室礼でなくとも、できる限りの支度をしよう。和尚様のおかげで、その「限り」が、思いのほか大きく開かれた。
この音とともに入れる一刀目は、きっと、施主様にとっても、仏にとっても、よき始まりとなるだろう。


