このコラム「現代造佛所私記」は、とにかく1000日書き続けようと思って始めた。
初回は、今年の3月2日。 何かはわからないけれど、何かが動き出したぞ、そんなふうに感じる日だった。
早いもので、明日で300日になる。あと700日あるのだから、まだまだ序盤といったところ。
「千」という数は、ちょっと特別だ。
千里の道も一歩から、千変万化、千載一遇。千の弁を持つ蓮(サハスラーラ)など、途方もない数字、何か大きく次元を変える数、そんな象徴的な響きをもつ。
仏教の世界では、千日回峰行や千日詣りのように、特別な修行や祈願の精進にも、この数が現れる。始めるときには終わりが見えず、ただ一日一日を積み重ねるしかない、という覚悟の数でもある。
1000日のチャレンジは、四国や関西のPRプロデューサー仲間と、「それぞれ何でもいいから、1000日続けてみよう」 そんな話をしたのが、きっかけだった。
決めた日の翌日から始めた。 不安になる暇もないうちに、私は、とにかく1000日書く、と決めた。
当時、高知新聞での随筆の連載が、ちょうど一区切りを迎えた頃だった。
ありがたいことに、読者の方から「もっと読みたい」という声を頂戴した。そこで、あの連載の続きを書くような気持ちで、工房の日々を書き続けてみよう。それで、何が起こるのかを見てみよう。 そう思ったのだった。
振り返れば、毎日書くという行為は、ずっと前から続けてきたことでもあった。 特に一人暮らしをしていた二十代の頃は、ノートに毎日二ページほど、その日のことや考えたことを、ボールペンや万年筆で書きつけていた。 何冊もの束になり引っ越しですべて処分してしまったけれど、こうして今も、キーボードで書いている。
以前は、思うがままに、文章の精度などまったく気にせず書いていた。 今は、人目に触れる場所で書いている以上、十分とは言えないまでも、配慮をしながら言葉を選んでいる。
一日520字を目安に始めたが、800字になる日もあれば、気づけば2000字を超え、前後編になることもある。
書くと決めた以上、書くことが浮かばない日も、どうにか書かねば1000日に届かない。そんな日は、白い画面をじっと眺め、断片的な言葉を、ぽつり、ぽつりと置いていく。
それらが、いつの間にか連なり、一編のコラムになる。内側に浮かんでいる言葉を拾い、編んでいく作業は、なかなか乙なものだ。晩酌はしないけれど、その代わりに私は綴っているようなところがある。
さて、ここまで読まれているあなたは、なんと奇特な方だろうか。ここは、決して人の多い場所ではない。本当に、静かなところである。
ここまで読んでくださったあなただからお話しするが、300日続けてきた中で、講師のご依頼をいただいたり、取材のご相談を受けたり、水面下で、さまざまな動きが生まれた。小さな動きではあるが、確かに何かが動いている。これから何が起こるか、よろしければ見届けていただきたい。
そうそう、最近、ふと気づいたことがある。初回は記名して書いたが、その後は、特に名乗らずに書いてきた。途中からこのコラムに出会った方は、一体誰が書いているのか、分からなかったに違いない、と。
仏師の妻で、一児の母らしい、というあたりは、なんとなく伝わっていたかもしれない。けれど、工房の中でどんな役割の人間が、この言葉を綴っているのかまでは、見えにくかっただろう。
「改めまして。この1000日執筆チャレンジを書いています、よしだ造佛所共同代表の、吉田沙織です」
思うに、古くから、多くの仏師は結婚してきたはずだ。 けれど、その家庭生活が、どのようなものだったのか。工房の内側が、どのように営まれていたのか。 それを知る術は、ほとんど残されていない。
だからこそ、私は書こうと思った。
古い仏像たちが、そのお姿で、現代に多くのことを語りかけてくれるように、この時代の仏像工房は、こんなふうに暮らし、こんなふうに考え、こんなふうに仕事をしていたのだと、文字で残してみたいと思ったのだ。
私自身、昔の仏師が何を食べて、何を着て、仏像作りの裏側で、どんな生活を送っていたか、とても興味がある。
だから、いつか、遠い国の誰かや、遠い未来の誰かが、令和という時代に、こんな工房があったのだと、一人でも触れてくれたら、それは、なかなか面白いことではないかと夢想する。
立派な志があったわけではない。 ただ、書いたほうが、書かないよりきっと面白い人生になる。 そんな予感だけで、私は今日まで書き続けているのだ。
明日で300日。 気負わず、続けていこうと思う。
吉田沙織 拝
アイキャッチは、1000日開始を決め、何をするかを仲間に宣言したカフェにて

