現代造佛所私記 No.293「種を採る」

夏から秋にかけて、2株のバジルが玄関先で勢いよく育っていた。

元気な茎を切り、挿し枝にすると、あっという間に5株に増えた。瓶に挿しておけば、瑞々しい切り口から、いつの間にか白い根を突き出し、水だけで小さな芽を出す。青々とした柔らかな葉を数枚散らすだけで、特別な一皿ができる。毎日摘んでも、次々と葉を広げるバジル。本当に逞しい。

植物の増え方には、いつも驚かされる。人の都合や感傷など「どこ吹く風」といった様子で、ただ淡々と、しかし確実に生を広げていく。

ピザ、パスタ、サラダ、ジェノベーゼソース。毎朝手折るたび、指先に移るあの香りが、食卓に幸福を何度も運んできてくれた。晩秋まで、存分にその恩恵にあずかった。楚々とした白い花もかわいらしく、次第に黄色く色づいて種を育み始めていた。

ところが、12月初旬。インフルエンザで寝込んでいるあいだに、バジルがすっかり枯れてしまっていた。

ああ、きっと種も落ちてしまっただろう——そう思いながら、念のため花穂を覗き込んでみると、思いのほかたくさんの種を抱えていた。

明日から雨が続くらしい。晴れているうちに、少し時間をとって採種することにした。

茎から花穂を外し、指でそっと開いてみる。すると、黒く小さな四つの種が、寄り添うように収まっている。長さ3ミリほどだろうか。あまりにも小さい。

「この一粒が、二尺ほどの丈まで育つのか」

思わず、そんな言葉が口をついて出た。

一粒の種の中に、発芽し、葉を広げ、香りを放ち、花をつけ、また次の種を結ぶまでの、途方もない工程が、すでに組み込まれている。そのプログラムの膨大さを思うと、言葉もない。

猫の皓月(こうげつ)も、強い香りに惹かれてやってきた。フンフンと枯れた茎に鼻をつけ、ペロリと舐めると、枯れたバジルがカサリと音を立てた。

そういえば、と思い当たる。

妊娠が分かったとき、我が子はまだ4ミリほどの豆粒のような姿だった。それが今では、130センチを超える児童である。走り、笑い、意見を持ち、世界を自分の目で見ている。

小さな種。小さな細胞。

そこに仕込まれている可能性の大きさを思い、しばらく立ち尽くした。

机の上には、皿から零れ落ちた小さな種たちが、その途轍もない可能性をギュッと抱いていた。