現代造佛所私記 No.290「3年手帳(後編)」

家に帰ると、すぐに三年手帳を開いた。新年一月から、2027年までの主な予定を書き入れていく。

来春から動き出すプロジェクト。数年がかりになりそうな仕事。そして、家族の節目や、毎年の行事。

ページを埋めていくうちに、先への見通しが、すっと遠くまでひらけていく。時間の地図を、三年分まとめて手元に引き寄せたようで、奇妙に安心する。ふむ、いい感じ。

この1000日コラムはというと、2027年11月下旬に満願の日を迎える。その日付にも、そっと記しておいた。

まだ少し先の話だが、そこへ向かう一本の筋が、今日の自分の手元からしっかり延びて真っ直ぐ張っている。なんと心強いことだろう。

同時に、うっかりしていたことにも気づいた。これまで使ってきた手帳には、当たり前のようにタイムスケジュール欄がついていたのに、三年手帳にはそれがない。

どの予定に、どれくらいの時間を使うのか。一日の中でのボリュームを視覚的に捉えることに、私はずいぶん助けられてきた。慣れ親しんだ方法が使えないのは、少し心もとない。

けれど、きっと使い始めてわかることもあるだろう。時間を細かく区切って並べる感覚から、もう少し大きな流れとして受け取る感覚へ。三年手帳は、そんな移行を促しているようにも思えた。

クラウドの画面には、共有や締切、定例の行事の時間が並ぶ。手元の三年手帳は、詰め込んだ頭の中の引き出しを引き受けてくれる。

真っ白な紙面に、文字が少しずつ積もっていく。暮らしと仕事の輪郭を形作っていく。

手書きとデジタルの両用というより、「両輪」として、日々を歩いていくための知恵かもしれない。これまでと違うのは、それが三年というスパンで展開していくということだ。

夜道に、ぽつりぽつりと街灯が灯っているように。その先の道のりも、おぼろげながら見えてくる。

その始まりの一冊を、今年の終わりに選ぶことができたのは、何とも趣のあることだと満悦している。