手帳を前に、私はなぜこんなに迷っているのだろう。
予定やタスクを忘れたくないだけなら、クラウドで十分だ。リマインドは細かく設定できるし、いつでも、どこからでも見られる。チームで動く仕事や、締切の多い案件には、デジタルのほうが頼りになる場面が多い。
けれど、個人的な感覚では、少し違う顔が見えてくる。クラウドは、決めたことを忘れないためには優秀だ。けれど、頭の中に溜まったものを一度ぜんぶ出して、並べ直す――いわゆるブレインダンプのような作業は、やはり手書きに分がある。
手で書くとき、デジタルの何倍もの時間がかかる。
タスクは、頭の中でストックされる場所にグラデーションがある。大きいもの、小さいもの、古いもの、新しいもの。それらが紐付いていて、優先順位が入れ替わったり、形を変えたりする。意外と、流動的だ。
そんなふうに、棚卸ししながら眺めていると、頭の奥深くの引き出しの隅まで探検することになる。それを、紙の上に書き出してしまえば、頭が一気に軽くなり、視界も開けてくる。
また、紙の手帳には、ふと思いついたことや、会話の中で心に残った言葉、子供の落書きなど、寄り道があったりする。
公私の境がないその記録が、後で見返した時にとても愛おしい。そんな豊かさを与えてくれるのは、手書きの手帳ならではだ。
一方で、デジタルは、共有と実行のためのインフラのような存在だ。大量の情報を一元管理し、必要なときに一瞬で引き出せる検索性。複数人で予定を共有し、タスクを割り振るときの、あの身軽さは手放せない。特にチームで動くときには、大きな強みになる。
手書きとデジタル、完全に一元化できたら良いなと思うこともあるし、両方のいいとこ取りをしたようなアプリも気になってはいる。
だけど、今の私は、使い分けをするのがいちばん楽で、取りこぼしが少ないように思う。
そんなことを、ここ数年、仕事と暮らしのあいだで試行錯誤してきた。
1000日コラムを始めたことが転機の一つとなった。
時間感覚が変わったのは、毎日書き続けたからだと思う。生活のこと、仕事のこと。過去も、現在も、未来も、毎日少しずつ振り返るうちに、3年、5年といった単位が、自然と身近になっていった。そもそも、仏像のことを考えれば、1000年といった単位は日常だ。
「3年という具体的な時間を、もう怖がらずに持ってみてもいいかもしれない」
そんな気持ちが、ふつふつと湧いてきた。
例年より、すこし重い手帳をかかえ、何かよき予感に、胸がふくらんでくるのだった。
アイキャッチは、手帳に書き込まれた娘(9歳)の落書き。


