特別養護老人ホームへ向かう車中、窓の向こうに清流が見えた。水は季節の光をそのまま映して、静かに流れていた。
施設にいる祖母を最後に訪ねたのは、今からもう14年前のことになる。
その日、面会者は私ひとりだった。四人部屋を、祖母は個室のように使わせていただいていた。退院や転院のため、たまたまそうなっていたのだが、最後の日にふさわしい、静かな空間だった。
当時94歳だった祖母の身体は、大腿骨折後に急激に衰え、もう自分の思うようには動かなかった。
誤嚥性肺炎で入退院を繰り返していた祖母。笑った時に、口腔内がチラリと見えた。孫としては悲しく、元医療従事者としては見過ごせない状態だった。歯磨きと保湿の手入れを、丁寧に、手早く行った。
「あぁ、すっぱり(さっぱり)した!」
目を輝かせた祖母を見て、胸が熱くなった。小さな喜びを、こんなにも素直に表す。その健気さに、思わず笑みがこぼれた。
祖母は、何か記憶のスイッチを押したらしい。ふいに、脈絡なく話し始めた。
「娘時代にな、家の裏にまぁちゃんという人がおってな。あち(私)が困ったとき、なんやかんや助けてくれたんよ。男前やなかったけど、欲のない人やった。……なあ、あれは恋やったんやろか」
私は、言葉を挟めなかった。祖母の声は穏やかで、どこか遠くを見るようだった。少女のような表情で、昔を辿っている。
「あんな、丘の上に、ええ家を建ててあるんじょ。横に、きれいな水が流れとってな。おばあさんは早う、あの家に行きたい思いよるんよ。あれあれ、おじいさんが、くしゃみしよるわ」
祖父は、母が生まれる前に亡くなっている。「丘の上の家」も、現実には存在しない。
祖母は生前、色恋の話を好まなかった。見合いで結婚し、まだこれからという時に船の事故で夫と死別した人である。「まぁちゃん」は、語られぬまま胸にしまわれてきた、娘時代のほのかな初恋だったのかもしれない。
あの時間、祖母の内側で何が起きていたのか、私にはわからない。あとで母に聞くと、その話を聞いたのは親族で私だけだったという。
私は、祖母が見ているという「丘の上の家」を、否定しないことにした。死後の世界があるかどうかはわからない。けれど、祖母にとってのリアルなら、それでいいと思った。
そのとき、理屈を超えて、祖母を抱きしめたいと思った。まるで若い娘のように目を輝かせて話す彼女を。弱っていく身体の中で、なお輝く命そのものが、愛おしくてたまらなかった。
家族と、あまりスキンシップをしてこなかった私が、医療の資格を取った理由。その瞬間、ふと思い当たった。——大切な人に触れるための、方便が欲しかったのではないか。
部屋を出るとき、私は自然に祖母を抱きしめた。ほんの短い、ささやかな抱擁だった。小さく軽くなった祖母の身体を、そっと包み込んだ。
祖母の手も、私の背中を優しく包んでいた。
「かわいいおばあちゃんになりたい」
そんな言葉を、20代の頃、軽く口にしたことがある。何かの折に、誰かがそう話すのを耳にすることもある。
けれど、祖母との抱擁以来、その言葉を聞くたび、胸の奥にざらりとしたものが残る。
老けるのは簡単である。けれど、「年を重ねる」という言葉には、ある種の壮絶さが滲む。
老病死を生きていくという行為の重みを、たおやかに血肉にし、骨にまとって、なお微笑む人を前にしたとき、「かわいい」という言葉では、どうしても足りない。
あの抱擁から半年後、祖母は明け方、静かに逝った。
老いを考えることが増えた今、私はときどき、祖母の顔を思い出す。
そして、ただ「かわいい」だけではなく、思わず抱きしめたくなるような年寄りになれたら、と願うのである。


