今朝は少し感慨深かった。しぶといはやり風邪を克服した娘の、十日ぶりの登校を見送ったのだ。
過ぎてみると、悪夢から覚めたような気さえする。あの高熱の日々、全身をこわばらせる発作的な咳嗽。ウイルスの粘り腰と、人の治癒力の凄まじさを、まざまざと見せつけられた療養期間だった。
そう思うからこそ、今朝は、まるでパンデミック映画のラストシーンにでも差し込まれそうな、明るい健やかな見送りとなった。握手をし、手を振って、小走りにバスへ向かう赤いマフラー姿。
いい朝だ。
そのはずだった。
朝食を済ませ、工房の机でパソコンに向かうと、身体がどうにも重い。芯が定まらず、落ち着かない。強い眠気が、眉間のあたりからじわりと滲み、瞼を閉じるよう、身体が静かに促してくる。
並行している作業の待ち時間に、少し横たわってみた。三十分ほど、ストンと深く眠れた。目を覚ますと、頭の奥が澄んで、いくらか体も軽くなった。それでも、完全に戻りきった、という感じではない。
娘と一緒に私が寝込んでいるあいだ、軒先のプランターに植えていたハーブや花は、すっかり枯れてしまった。改めてみると、気の毒なことをしたと、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。もうだめだろうか、と思いながら、ふと根元に目をやってハッとした。
そこには瑞々しい新しい葉が、静かに芽吹いていた。
枯れたように見える時間の底で、次の命は、ちゃんと準備をしていたのだ。しかし、初夏のようにぐんぐん伸びる様子はない。地面に近いところでごく小さく葉を開き、寒風に耐えている。
そうだよね、すぐに元気に立ち回れなくても、いいんだよね。
私も、季節と身体に合わせて、揺らぎながら、できることを、できる分だけ。ウイルスと闘った身体を、労いながら。プランターの小さな葉のように、地を這うような歩みであっても、それでいい。
春が来れば、また伸びればいい。今は、ただ静かに、根を張る時間なのだろう。


