娘発症の二日後の朝、私も突然の高熱に見舞われた。
「夕方くらいにお越しください」
娘もお世話になった診療所に、夫が受診相談をする横で、私はどんどん火照り出す身体になすすべを失っていた。
全身が痛い。頭がぼーっとしてあまりよく考えられない。そんな状態ではっきりとよぎったのは、「1000日コラムを初めて休むことになるかもしれない」という思考だった。
39℃を超える熱は、子どもの頃に見た天井の木の模様やシミまで呼び起こしてくる。人の顔や、動物の姿に見えたあのシミは、熱があると動いて見えたりした。
「まるで昔話を読んでいるようだったな。なんと懐かしいことよ」
そんな懐かしさも、すぐに高熱に溶かされた。ああ、このしんどさは久しぶりだ、夫が後片付けなどしてくれる物音を聞きながら、布団に沈み込んだ。その後のことは、あまり覚えていない。
夕方、夫に連れられて診療所を受診した。病状の説明を受けていると、「Aが出ました!」と診察室の奥の方から年配の看護師さんの声が聞こえた。医師は淡々と内服の説明をし、ついでに、お腹がおかしいという娘の診察してくださった。
症状は最初の二日ほどは激しく、とても起き上がれなかった。
パソコンに向かい、いつもの1000字を書くことは、とてもできそうになかった。
「回復したら、その間の分も書けばいい」
そう八割方心を決めかけたとき、どこからともなく声がした。
”本当にそれでいい?”
高熱の頭がハッとした。
“何か別の方法があるんじゃない?”
その声は、たしかな響きを持っていた。
次の瞬間、思いついた。
「そうだ、短歌なら?」
短歌なら、五・七・五・七・七の三十一音に、その日のすべてを凝縮して閉じ込めることができるかもしれない。
たとえ高熱にうなされるだけの1日だったとしても、その日から一滴の香油のように何か抽出することができるかもしれない。
古(いにしえ)の歌人たちは、自然も、心の揺れも、人との交わりも、三十一音に託して届けてきた。
古の歌人には到底およばないが、「三十一音の器」になら、布団の隙間から流し込めるかもしれない。
目を閉じたまま、ポトリ、ポトリと、点滴のようにゆっくり通り過ぎていく記憶の断片を眺めながら、私は言葉をすくってみることにした。
いつもは深く潜ることもある記憶の川。この時は岸に横たわり、ぼんやり手をつけるだけで、日常のカケラがすくえた。
それを並べて生まれたのが、「インフルエンザ短歌」である。
誰かの思い、猫の毛並み、香り、少しずつ回復していく体。連作として読み返すと、病む身体から見えた世界が、小さな結晶となっていた。
日本人が育ててきた「短歌」という文化。
それは、病のふちに立つ私にさえ、遊び心を思い出させてくれた。こんな景色の切り取り方もあるよと、新しいフレームの前に立たせてくれた。
短歌という器の深さと、言葉が持つ人生を豊かにする力を、私は身をもって知った。


