現代造佛所私記 No.275「師走朔日の茶の湯(前編)―稽古備忘録」

とうとう今年も師走となった。朔日に稽古ができるのはちょっと珍しい。

兄弟子が新年の重ね茶碗の点前を稽古するのを見ながら、流れ星のように去っていく一年の手触りを確かめていた。

私は昨年一年、稽古を仕事で休んだ上に、今年は特に後半は夜間の業務と出張が続き、家での割稽古はほとんどできなかった。

身体の記憶が少し薄れている自覚がある。しかし、稽古を易しいものだけに留める理由にはならない。師匠に促され、今日は久しぶりに濃茶に向かうことになった。

見取り稽古した兄弟子の所作を思い出しながら支度する。男女で多少の違いはあるが、流れはほぼ同じ。新年に向けての火箸の扱いや、長板に合わせた道具の置き合わせなど、特徴的な幾つかを手を動かしながら反芻した。

一口に「濃茶点前」と言っても、数多くのバリエーションがあるのは、茶の湯の奥深さであり、面白さ。おもてなしの心や、遊び心の表れと思う。

「濃茶の基本を、どれだけ身体は覚えているだろうか。」

湧いて出てくる心許なさを、なだめながら水屋で準備する。いざ点前が始まると、間違いやずれを師匠が一つ一つ指摘し矯正してくれた。

濃茶を練り始めると、ふわんと新茶の香りが立ち上り鼻腔をくすぐる。

「あぁ、これだ」

点前をする者だけに開かれる、一つの役得の瞬間である。練り始めた時、点て始めた時のこの豊かな香りは、雑念を消してくれる。

茶を点てることについてまわる、湯あるいは水を汲む動作。
ここに、一つの点前の練度が表れる。扱いようによって、ポタポタと畳や炉縁を濡らしてしまう。

例えば、湯を汲もうとするとき、まず釜の蓋を開ける。
口縁に沿わせてスライドし、一度手前を空かせるようにクッと斜めにする。裏に溜まった水滴が切れるのだ。そのまま平行に遅滞なく蓋置まで運ぶ。

茶碗や釜に湯や水を運ぶのは柄杓。やや傾けて水分を切り、その後は手首や肘を体幹とつなぎながら、水平を保ち、あるべき器に注ぎこむ。

これらの所作は柔らかでありながら、湯も水もくっきり切れて、必要な場所へこぼすことなく運んでいく。美しいなと思う。(続く)