能登の仏像応急処置から戻り、知人宅で預かってもらっていた我が家の猫たちを迎えに行った。
九日ぶりである。
知人家族には手間をかけさせてしまったが、送ってもらった写真の様子から、ずいぶん可愛がってくださっていたようだった。本当にありがたく思う。
午後四時半に玄関先へ向かうと、奥様が「三時くらいからニャアニャア鳴いていましたよ。迎えが来るの、わかっていたみたいね」と笑顔で案内してくださった。
シャムトラの皓月と、黒猫のウニ。
酔っ払いの土佐弁は苦手みたいだけど、基本的に人が好きで、初対面でもすぐにすり寄ってくる猫たちだ。ましてや猫好きのご家族となら、かえって「あともう少しここにいたい」ともなりかねないね、と帰りの飛行機で夫と笑い話をしていた。
夕方の忙しい時間、私たちは長居をしないよう、猫たちをキャリーバッグに入れて、ご挨拶もそこそこに失礼した。
猫の荷物を引き上げると、見覚えのない猫じゃらしが一つ混ざっていた。ご家族が遊んでくださっていたらしい。そうした気遣いに触れた途端、胸の奥にぽかぽかとひだまりができた。
安心してお任せしていたとはいえ、一週間も猫たちと離れて過ごすのは、やっぱり少し寂しいものだ。私たちは無類の猫好きなのだ。
旅先で、能登の猫たちに会えたら良いな、とぼんやり思ったりした。
そんな思いに誰が応えてくれたのか、何匹もの地域猫が暮らすお宿をご用意いただいた。
どうやら宿の先代が猫好きで、世話をされているらしい。駐車場の片隅には、発泡スチロールをけずって拵えた小さな小屋があり、そこを拠点に、猫たちは思い思いに過ごしていた。
さくら耳の三毛猫。警戒心が強い子猫の兄弟。目がまん丸で近づくと小さく鳴く別の三毛。きな粉餅のような、ふかふかの茶色猫。
朝、作業に出るときも、夕刻に戻るときも、彼らはいつもそこにいた。近づきすぎず、遠ざかりすぎず。ほどよい距離感で、たがいの存在を感じていた。
緊張の続く日々のなかで、彼らはほんのひとときの和みをくれた。猫という生きものが持つ、あの不思議な「寄り添いすぎない寄り添い方」が、肩の力を抜いてくれる。地震も豪雨もくぐり抜けた土地で、猫たちもまた、人と支え合うように暮らしてきたのだろう。
猫と人との関係は、どこか独特である。互いを縛らず、しかし確かなぬくもりを交換する、不思議な隣人同士だ。
能登で出会った猫たちと、またいつか会えるだろうか。次に会えたら、ちゅーるの一本でも差し入れしたい。その時は、家族皆で遊びに行きたいものだ。
そうして、皓月とウニが待つ土佐へと帰ってきた。九日間、ふだんと違う生活を受け入れてくれたことを、ありがたく思う。迎えに行く小一時間前から鳴いていたというのも、彼らの感知能力の高さだろうか。久々に会う私たちに、どんな反応をするだろうと少しワクワクしながら猫たちのいる部屋に入った。
しかし。
いざ顔を合わせると、再会の劇的な抱擁、というわけでもなかった。抱き上げて撫でてやりたいと思ったが、適当にゴロゴロ喉をならしたあと、腕の中からすぐに飛び出して、二匹でレスリングと追いかけっこを始めた。
長く家を空けた私たちを責めるでもなく、喜びを大げさに表すでもなく。淡々とした態度の向こう側に、彼女たちらしい姿があった。
それで良い。だから良い。
猫たちも、おかえり。


