現代造佛所私記 No.267「法鼓がきこえる」

ガタガタと、急勾配をトラックに揺られて登る。乾いた土で化粧されている、根をあらわにした木の束が、カーブの脇に積み上げられていた。

やがて眼下に、ほんのり桃色に染まり始めた空と、穏やかな北の海が広がり息を呑んだ。

この先の山の上には、かつてお寺があった。ご住職とは、仏像のことでご縁をいただいて以来、一年ぶりのことだった。

二重の大きな災害に見舞われたこの古刹は、復旧の目処がまだ立っていないという。それでも公民館を借りて、祈りの場を絶やすまいと奔走されているご住職の様子を、新聞各紙でたびたび目にしていた。

「ニュースで拝見していました」と申し上げると、少しはにかんで、優しく微笑んでくださった。壮絶な経験をされているはずなのに、一年前と変わらぬ穏やかさに、ほっとする。

しかし、境内へ足を踏み入れた途端、言葉を失った。倒壊した住居は二階部分だけが残り、家ごと斜めに傾いている。割れた窓ガラス、散乱した漫画本、かけられたままのネクタイ、開いたままの引き出し。日常の手触りをそのままに、時だけが止まっているようだった。

東側の山肌には、土砂の流れた筋が残り、大きな岩がごろごろと転がっている。その脇では、柿がたわわに実り、紅葉が鮮やかに色づいていた。壊れたものと生き続けるものが、隣り合っている。無常という言葉が、何度も心に折り重なってくる。

伽藍のあった場所には、砕けたガラスの破片、変形した家電、泥水の跡を帯びた経典、積み上げられた建材。往時の気配が漂って、現実と夢の境目があやふやになった。

土砂の中から救い出された仏像や法具は、かつて駐車場だった場所に整えられていた。部材は欠けている。けれど、その残欠の尊さが胸に迫った。かつての円満な御姿を思い浮かべながら、救出にあたった方々の心に思いを馳せ、何度も手を合わせた。

その時、ふと目が吸い寄せられた一角があった。

「まさか」と思った。そこには四国霊場の名を刻んだ石仏と、泥のついた楽太鼓があった。土をまといながらも生き生きと駆ける獅子たちの意匠は、楽しげで誇らしげだ。遠いこの町で、故郷のご本尊たち、愛する雅楽の楽器と出会えるなんて。懐かしく親しい思いに、つい手が伸びた。

「これ、私が叩いていたんですよ」

ご住職が背後から声をかけてくださった。この楽太鼓は、法要のたびに、この山中に響いていたのだ。

指で軽く、トーン、トーンと叩いてみた。小さいながらも、空気をびりびりっと震わせた。胸の奥に熱いものが込み上げる。ああ、この地で確かに鳴り響いていた法鼓だ。

いつか、ご住職があなたを鳴らす時が再び来たら、私は笛をお供えしに来てもよいでしょうか。心の中で太鼓に語りかけた。

山を下る頃、西日があたりを淡く染めはじめていた。法鼓の音が、ドーンドーンと水平線の向こうまで、力強く響き続けているような気がした。

その余韻のなかで、胸の奥に静かな光が灯った。