現代造佛所私記 No.206「夏休みの自由研究 その後」

先日、市の図書館で開催されている、子どもたちの自由研究の展示を見に行った。

会場に足を踏み入れると、ほんのりと糊や紙の匂い。図書館の静謐な空気とは対照的に、なにか生々しい創造の匂いがした。

壁一面に並ぶ模造紙、テーブルに並べられたスケッチブックや冊子には、子どもたちの字で書き込まれた観察の記録や写真、図表。どれも「気になったこと」を一生懸命に確かめた跡であふれている。

娘の研究は「せっちゃくざい大実験」。家にある接着剤を並べて、木や紙、アクリル、アルミ板などを接着し、どれくらい強くつくのかを比べたものだ。淡紫のリボンが付いていた。市教育研究会理科部会会長賞との文字。親として、少しばかり誇らしい気持ちになった。

けれど当の本人は、賞のことなど特に気にするでもなく、前に立ってポーズをとっただけ。むしろ興味は別のところにあるらしい。

「あー、これは失敗したな」 「誤字脱字みつけた。今直せないかな」

そんなことを言って笑っている。完成した研究よりも、やり残したこと、改良したいことの方が気になるようだ。そして早々に「早く帰ろうよ」と飽きてしまった。

過去を振り返るよりも、気持ちはもう次に向かっている。

他の子どもたちの作品を見て回ると、それぞれに発見がある。「身長は1日のうちいつのびる?」「飼い犬の利き手はどっち?」「うちの子猫の習性」「10円玉は何で磨くと綺麗になる?」「コーヒー水や砂糖水でも植物は育つ?」など、身近なテーマから掘り下げられていた。

大人なら「当たり前」だったり、気にもせずに通り過ぎてしまいそうなことも、子どもたちにとっては解明すべき謎になる。そして彼らは、手の届く範囲のものを使って、その謎を解こうとする。台所にある材料で、家族で、庭にあるもので、近所の動物園で。身近なものこそが、彼らの実験室の道具なのだ。

強烈なエンターテイメントが身近にある現代の子どもたちにとって、純粋な好奇心を地道に調べ、人に伝わる形にする機会は貴重だろう。けれど、この会場に並ぶ作品を見る限り、子どもたちの探究心は健在だ。

娘が帰り際に振り返って言った言葉が忘れられない。

「来年はなにしようかな〜。今度は高知の志士のことを調べてみようかな」

未来を信じているその声。自由研究という窓の向こうに広がる景色の中に、まだ知らない発見が、きっと無数に散らばっている。

疑問を掬い上げる時間も、取り組むプロセスも、発表する舞台も全て、思い切り、楽しんでほしい。