現代造佛所私記 No.205「150年のお祝い(後編)」

それまでの境内の空気が、また一変した。

舞楽「抜頭」が始まった。

舞人が首を振るのにあわせて、朱の面が鈍く光を照り返す。太鼓の響きと楽の音が、舞人の震える手、振り乱した髪と合わさって、胸に迫ってくる。足でドンと踏み鳴らされるたび、荒ぶる神の物語が立ち上がってくるようだった。

演奏者として座しながら、私もどこか観客のような心持ちでその舞を見つめていた。面の向こうに潜む表情を想像し、舞人の息遣いを感じながら。

観客席を見渡すと、「雅楽は初めて」という方の表情にも、心を開いて楽しんでくださっている様子が見えた。目を細め、じっと見つめる人、息を呑むような表情の人。同じ時を共有している一体感が、最高潮に高まっていた。

舞人が退場すると、しばしの静寂。その後、拍手が沸き起こった。

自然と終演の安堵感が訪れると、「おつかれさまでした」と労いの言葉をかけてくださる方、「雅楽をやってみたくなりました」と呼び止めてくださる方もいらっしゃった。舞台を挟んで心が通い合ったことが、何より嬉しかった。

終日、舞台裏でも皆さまが細やかに気を配ってくださっていた。音響の調整、進行の確認。控室では、同行した家族が過ごしやすいよう部屋をご案内いただいたり、お弁当をご用意くださったり、温かな声をかけてくださったり。見えないところで多くのお心と手が動いていた。

愛知からいらっしゃった主韻会の皆さまの、和やかでありながら真摯な姿勢に多くを学びつつ、共に舞台を作り上げることができたことも光栄に思う。

ホッとして見上げた大きな絵馬の横に、冒頭にMCとして読み上げた協賛企業や団体の皆さまのお名前が掲示されていた。そのお名前と、道すがら見かけた看板や店構えがピタッと結びついた。この町の人々、この土地に根ざした営みが、今日の祭りを支えているのだと改めて胸が熱くなる。

演奏の課題も多く見つかった。拍手や微笑み、祝福の言葉に包まれた充実感に浸る一方、楽曲への理解、奏法、所作について、すぐに師匠へお稽古の相談をせねばと連絡をとった。師匠は、どこまでも優しく、私の気持ちを受け止めてくださり、労いの言葉をかけてくださった。

百五十年という歳月を重ねた社殿の前で、また新たな記憶が刻まれた。地域を愛する心、平和を願う心が、この地の文化と共にこれからも受け継がれていきますように──そんな祈りを胸に、社殿を振り返り、鳥居をくぐった。

余韻の残る翌日。
吉田仏師と午後のひととき、一緒に本を見ていた。運慶の真作と言われる抜頭面のページが現れると、吉田仏師がふと笑って顔を上げて言った。

「いつかさっちゃんが抜頭を舞うときがきたら、面を作るよ」

そんな未来が、本当に訪れるのだろうか。

目に見えない神さまのお計らいに心委ねつつ、秋空に向かってそんな景色を少しだけ想像してみる。きっと、その時の私は、この日の記憶と共にあるだろう。