現代造佛所私記 No.201「仏師とアリの巣」

吉田仏師の仕事部屋に置かれた道具箱。久しぶり(と言っても2週間ぶりぐらい)にふたを開けてみると、思いがけない光景が広がっていた。

刃物が並ぶ桐箱の隅に、アリたちが巣をつくり、卵を育てていたのだ。その様子が映ったスマートフォンを覗き込んだ私は、思わずぎょっとした。その横で、彼はつぶやいた。

「アリも一生懸命生きてるんだよな」

そのひとことが、いかにも彼らしかった。

彼は家の周りの雑草も、むやみに抜くことを好まない。毎日やってくる郵便屋さんから見れば「雑然とした家」なのかもしれない。けれど本人にとっては、ひとつひとつの草が命を宿す愛おしい存在なのだ。もちろん必要なときには草刈りもする。だが、勢いよく伸び、さまざまな形でそれぞれの営みを見せる草たちを、どこか面白がって眺めていることが多い。

仏師という仕事は、木に御仏の御影を刻む営みだ。三十六年、その道一筋に生き、木の命に触れつづけてきた。その影響なのだろうか——生き物や植物のひたむきな営みを前にすると、彼はただ素直に尊び、受け止める。そこには効率や管理の発想はなく、命を命として見るまなざしがある。

彼が今は全く触れなくなったSNSにも、以前は作業場に住み着いた生き物の観察記録を投稿していた。同業の方々がSNSを上手に活用して作品や活動を紹介している中で、欲のないことだと半分呆れ、半分は彼らしいと思った。

アリの巣を見つけたときも、困ったのは確かだろう。けれど道具箱の隅で営まれる小さな命に、浮かんだのは「一生懸命」という言葉だった。その姿勢に、私は胸が温かくなった。

仏像を彫る手と、雑草を見守るまなざし——その根は同じところにある。生きるものへの敬意が、仏像にも、庭にも、そして道具箱のアリの巣にも等しく注がれている。

彼がどのような気持ちで「仏像になろうとする木」に触れているのか。その一端を垣間見た気がした。

(アイキャッチは家の前にて。草や土に命の営みを思う)