現代造佛所私記 No.198「師長と名刺入れ」

黒一色の革に、小さなうさぎのモチーフがひとつ。

出張の荷造りをしていて、ふと手が止まった。長年使い続けてきた名刺入れが、なぜかいつもと違って見えたのだ。一見シンプルだが、そこはポール・スミス。さりげない遊び心が、持つ人の心を少しだけ軽やかにしてくれる。

これは二十代の頃、看護師を辞して東京へ向かう私に、師長が餞別として贈ってくださったものだ。「きっと素敵な出会いがたくさんあるよ」と言いながら、少し寂しそうに微笑んでいらした。

経年で丸みを帯び、使い込まれたものだけが纏う、鈍い光沢。毎日のように触れているのに、今日はなぜか、じっと見入ってしまった。

師長は仕事には厳しく、スタッフにも患者様にも温かい人だった。私に、「あなたはこの病棟のチャームポイントだと思ってる」。そんなふうに言ってくださったこともある。命が剥き出しの現場で、あの若さで組織をまとめ、他職種とのチームを調整し患者様にとっての最善の医療サービスを実現していく姿は、今思い返しても見事だった。

気がつけば、私は師長だったころのあの人の年齢を追い越してしまった。

あの日から、この名刺入れは私の職歴の変遷をすべて見守ってきた。個人秘書、オフィスマネージャー、工房運営者、PRプロデューサー。肩書きは変わっても、初対面の瞬間にそっと差し出される手の中で、変わらずにいてくれた相棒のように。

二十年近く、ほころびることもなく。

荷造りを再開しながら、ふと思う。師長は今どうしていらっしゃるだろう。あの包み込むような温かさで、きっと誰かを支え続けていることだろう。

跳ねるうさぎのように軽やかに。そんなふうにメッセージを受け取り、恐れず新しい場所へ向かいたい。名刺入れとともに。