現代造佛所私記 No.197「転地効果」

朝の九時半から夜の七時半まで、まる一日を温泉で過ごした。

夫は北陸の温泉地に生まれた人である。その血筋なのか、娘も壺湯から炭酸泉へと渡り歩きながら、実に自然体で湯を楽しんでいる。私も、薬湯に始まりサウナ、水風呂へと、体の求めるままに身を任せていた。

熱い湯で芯まで温まった後、思い切って水風呂にゆっくりと身を沈める。その瞬間、ふうっと頭の中が真っ白になる。あの一瞬の感覚は、出産時の陣痛の合間に訪れた、束の間の安らぎを思い起こさせる。緊張の波が静かに引いて行く時の、あの何とも言えない静寂と似ている。小さな幸福の尊さを心ゆくまで味わった。

普段、PCとスマートフォンに常時接続しているような働き方をしているので、ロッカーにデバイスを待たせて守られた空間で体を労わる時間は本当に貴重だ。

こうした非日常に身を置くことで得られる効果を、「転地効果」というそうだ。日本人には馴染みの温泉旅行がまさに転地効果の最たるものかもしれない。今回は、日帰りの近所の温泉だが、こうして一日飽きることなく存分にデジタルから距離を置き、心身をケアできたことの恩恵を実感している。

環境省が行った調査でも、温泉地への日帰りや一泊の小さな旅で、「よく眠れた」「疲れが取れた」「気持ちが晴れた」と答える人が多数を占めた。昔ながらの長期湯治でなくとも、こまめに小さな転地を重ねることで、十分に意味のある効果が得られるということだろう。

東京大学の研究によれば、森林にたった三十分滞在するだけで、脳の扁桃体の活動が平均で二十三パーセントも低下するという。ストレスホルモンであるコルチゾールの分泌量も目に見えて減ったというのだから、積極的にそうした時間を取り入れたい。私は山の中で暮らしている。この環境を生かさないのは宝の持ち腐れだとつくづく思う。

また、十二名の男性を三日間森林に滞在させた実験では、免疫を担うNK細胞の活性が平均で五十パーセント近く上がり、細胞数も増えたという。日帰りの森林散策でも同様の効果が認められていて、短時間であっても体は確実に応えてくれる。健気に反応してくれるこの体を、大切にしなければと改めて思う。

仕事の雑事から離れ、スマートフォンの画面からも目を逸らし、ただ温泉の湯気に包まれて過ごす時間。今日という一日、肩の強張りがすっかりほどけて、足の指先まで温もりが巡っていくのを感じた。せわしない現代だからこそ、数字がきちんと裏付けてくれるこの「一日の転地」を、日常の合間に丁寧に挟んでいきたいと思う。

湯上がりの肌に夜風が心地よい。家族三人、それぞれに満ち足りた顔をしている。

(アイキャッチは、自然の中の温泉をイメージしたAI画像生成によるものです。)