現代造佛所私記 No.196「不動と榧」

正午の夏の名残の日差しの中で、完成したばかりの不動明王立像を撮影した。

一本のカヤ(榧)から彫り出されたその姿は、憤怒の相を現しながらも、どこか慈愛に満ちた気配を漂わせている。

施主が望まれたのは、子どもたちを守る本尊としての不動明王であった。その願いが仏師の手を経て形となり、激しい火焔の前に、確かな慈しみが宿っているように見受けられた。

この像には、子どもたちも鑿を入れている。幼い小さな手で刻まれた一刀が、その痕跡を確実にこの姿に刻んでまれている。生まれて初めての木槌とノミを手に、集中して取り組む眼差しを思い起こすと、この像はまさに皆で育み上げた守り本尊なのだと実感される。

撮影中、カヤの香りが濃やかに立ち込めていた。吉田仏師は、「慣れすぎて香りが全然わからない」と笑っていたが、私は二メートルほど離れた場所にいても、鼻腔の奥をそっと撫でるような甘い匂いが忍び寄ってくるのを感じた。

樹木が重ねてきた歳月の記憶が、いまなお像の内に息づいているのであろう。その気配を深く吸い込むと、自分の中にも清らかな気が満ちてくるようであった。

撮影を終えて帰る道すがら、作業場の隣の柿の木は膨らんだ実をほのかに色づかせ、道端にはヤブツルアズキの小さな黄花が、ぽつりぽつりと灯を点すように咲いていた。秋の気配の中を歩きながら、四季を通じて積み重ねてきた製作の日々を振り返る。雨の日も風の日も、季節とともに刻まれた手仕事の蓄積。それがあの目の前に立つ像を生み出したのだなと。

家に戻り、しばらく休んでいると、不思議にもあの香りがまだ鼻腔に絡まっていることに気がついた。ふとした折にあの甘い匂いが不動様の姿へ意識を誘う。木の精が寄り添ってくれているかのような、あそんでと言っているような、なんとも言えぬ余韻であった。

やがてそのまま静かな眠気に誘われ、ひととき夢路に入っていった。目覚めた時にも、まだかすかにあの榧の香りが残っているような気がしていた。