私自身が、一番戦争を身近に感じたのはどんな時だっただろう?と振り返る。
幼い頃から、テレビや本でその悲惨さを見聞きするたび、怖くて怖くて仕方がなかった。小学校4年生ごろまで、飛行機の音が聞こえるたび、戦闘機がきたのではないかと窓辺に駆け寄って確認していたことを思い出す。
遠戚の家に行くと、軍服姿の若い男性たちの写真が、和室の鴨居の上にずらりと並んでいたのをみて、どうしても遊ぶ気持ちになれなかったこと。その家のおばさんは、「この前の道路の上を、ゴーゴー言いながら戦闘機が飛んで行きよったわ」と話してくれた。
戦争は終わった、と聞いても、戦争の記録や映像、亡くなった人たちを弔う大人たちの姿から、強烈な感情を幼心に抱いていた。今にもまた始まるのではないかという恐怖と共に過ごしていたのだった。
成長と共にその恐怖は薄らいだものの、戦争は変わらず「リアル」なこととしての印象を失わなかった。それは、戦争体験者と話す機会があったからだ。
看護師として働いていた病院で、肩や足に銃痕を抱えた患者さんやそのご家族と接したことがあった。彼らは当時八十代くらいだっただろうか。戦地から帰還してきた人々だった。
今住んでいる地域の人からも、こんな話を聞いた。 少年時代、広場で燃料を作っていた。その上をアメリカの戦闘機が飛んでいったこと。 それは歴史の記録ではなく、確かに「日常の中の戦争」だった。
今、そうした方々と出会える機会は、すでにほとんど失われつつある。戦後八十年とは、そういう現実を突きつける時間なのだ。
だからこそ、私は娘に伝えなければならないと思った。 自分が出会った証言や、耳にした声を。 それが小さな断片であっても、未来に残る「生きた記憶」になるだろう。私が、誰かとあって話したことが、そうなったように。
このコラムを読んでくださった方に、もし共感していただけるものがあれば、一つ提案させてほしい。
ご自身の中にある記憶のかけらを、誰かに語っていただけたらと。 祖父母から聞いた一言でも、街の古老の思い出話でもいい。それが次の世代に伝わることで、戦争は単なる年表の出来事ではなく、人の生々しい物語として残っていくのではないだろうか。
そして、その語りのきっかけに、この麒麟像がなればと願う。 平和な世に現れるとされた聖獣が、本当にこうして現れますようにと。
間もなく開眼される、阿吽の麒麟を心に思い浮かべる。
末永く祈りを灯し、私たちを平和へと導くよりしろとなりますように。
八十年を超えても消えることのない悲しみと戒めと祈りを、この像とともに未来へ託したい。


