現代造佛所私記 No.171「夏休みらしい日」

何日も前から娘は、指折り数えてこの日を待っていた。

同級生とそのご家族が、私たちの家の近くのキャンプ場に遊びに来る、と聞いてから、「あと何日?」「お菓子パーティしたい!」「お泊まりしたい!」と心が弾んで仕方ない様子だった。

前夜はなかなか眠れず、「楽しみすぎて眠れない」と何度も起きてきては、PCに向かう私のとこまでやってきた。

朝、娘はそれなりに早起きもして、仕事を片付けようとしている私をせかしながら、水着に着替え、川に行く装備を着々と整えた。

急な仕事の対応が発生する中で、集合時間を30分ほどオーバーしてしまったが、娘も大好きな滝へと家族で向かう。

「サーーーーーッ」と絶え間なく滝の音が響き、周囲の木々や山へ静かに溶け込んでいた。冷たい水に足を入れると、目が覚めるような感覚があった。空には薄く雲が広がっていたが、15分〜20分ごとくらいに日が差し、木々の間から差し込む木漏れ日が、水面にゆらめいていた。

蝶やトンボが舞うなか、娘たちも大人も、夢中で川遊びをした。娘と友だちが同じ水着姿で浮き輪にぷかぷかと浮かびながら遊ぶ姿に、「ああ、夏休みだな」としみじみ思った。

私は、木漏れ日のなかで空を見上げながら、水に浮かんでいた。何者でもない存在として。そうした時間が、これほどまでに豊かなものだということを、時に忘れしまう。

夕方からはカレー作り。火を起こす音、野菜を刻む音、香り。今日は子どもたちが主体となって手を動かし、大人は見守る。

思うように時間を取れない日々のなかで、誰かと肩肘張らずに語らい、何もせず見守る時間は、思いがけず心をほどいてくれた。

スイカ割り、花火、にぎやかな声。子どもたちは花火を見つめ、夢中になっていた。そのまなざしに、この一瞬がきっと宝物になると感じた。

夜、娘はお泊まりに挑戦したが、眠れず不安になったのか、帰りたいと同級生のご両親に伝えたようだ。電話を受けて迎えに行くと、真っ暗な道に蛍のように灯るスマホのライトに浮かんだ顔が、少し照れくさそうだった。その姿は、この楽しい1日のクライマックスだった。真っ暗な夜道を、両親と共に歩いて帰る、そんなひとときも非日常だ。

そんな夏の1日を娘に贈ることができたことが、何より嬉しかった。

来年の夏には、きっともっと親離れして、友だちとの世界が広がっていくだろう。だからこそ、この夏の一日を、未来の自分に届けたい。

これは、かけがえのない、夏休みの記憶である。