今日も、家事や仕事のタスクが雪崩のように押し寄せ、マルチタスク状態が発動している。
あれもこれも片付けなくてはならない。「それはこの辺で切り上げておこう。午後2時にパッキングして、3時に出発。18時までには目的地に到着しておきたい…」と段取りを組む。
しかしその合間にも、予期せぬ通知や来客、電話が次々入り、優先順位がめまぐるしく入れ替わる。その様はまさに、やたら滅多。滅多やたら。
こんな調子で過ごす日々がほぼ毎日のように続いている。心身が充実しているときは軽やかに乗り越えられるが、いつもそうとは限らない。疲弊しきって全てを投げ出し、ただ横たわるしかない日もある。
そんな毎日だが、今日はちょっと面白いことが起こった。実は来月、雅楽の舞楽演目「抜頭(ばとう)」に龍笛の奏者として参加する予定がある。
その練習のため、譜面を声で覚えるための「唱歌(しょうが」を聴きながら、時に口ずさみながら作業をしていた。すると不思議なことに、雑然としていたはずの目の前の仕事に、いつしかひとつのリズムが生まれていたのだ。
この「抜頭」で演奏される音楽には「やたら拍子」と呼ばれる独特のリズムが使われている。そう、日常で使うあの「やたら(めったら)」の語源になった雅楽用語なのだ。
雅楽に伝わる「やたら拍子」とは
雅楽では、二拍子と三拍子を交互に繰り返す特殊なリズム(合計5拍子の型)を「やたら拍子」と呼ぶ。このやたら拍子、実は雅楽の中でも珍しいリズムなのだそうだ。やたら拍子で演奏される曲は次の四曲が知られている。
- 還城楽(げんじょうらく)
- 抜頭(ばとう)
- 陪臚(ばいろ)
- 蘇莫者(そまくしゃ)
軽快で活発な舞で、演奏していても、観客としてみていても、楽しくなってくる。
特に私が練習している舞楽「抜頭」は、このやたら拍子が使われる代表的な曲だ。ただし、左方(さほう)では二拍子(只拍子)で舞われるのに対し、右方(うほう)ではやたら拍子で演奏されるという違いがある。私が練習しているのは右方だ。
当時この拍子を初めて耳にした人々には、演奏が「むやみやたら」に行われているように聞こえたようだ。実際、三拍子や混合拍子の演奏は当時の日本人にとって難しかったたらしく、リズムがバラバラになる様子から、物事が乱雑になる様子を「やたら」と表現するようなったと聞いている。
この「やたら拍子」のビートが、私の先の読めない日々に、小さな秩序をもたらしてくれた。
「やたら」とはネガティブな意味で使われることが多いが、不思議なことに、今日私はそのリズムに身を任せることで逆に雑務をうまくさばけた気がする。
カオスな日々にも、視点を変えれば音楽のようなリズムが潜んでいるのかもしれない。そう思うと、混沌の淵に立たされるような日も、創造の扉が開く可能性がある。希望のあることだ。
古の雅楽に由来するリズムが現代の生活にも響くことに、感動を覚えた。むやみやたらな日常に、あえてやたら拍子を当てることで、軽快な舞のように立ち回れるとしたら、なんと面白いことだろう。
来月はいよいよ本番で、私も龍笛を携えて舞台に臨む。この「やたら拍子」に乗って、日々の混沌もエネルギーに変えながら舞台に挑みたい。


