千日コラムを始めたのは、仏師である夫と共に営む工房の記録を、日々の暮らしごと残していきたいと思ったからだった。
仏像のこと、修理の現場、祭典の裏側——最初はその枠の中で語るつもりだった。けれど日を重ねるうちに、工房で交わされる小さな会話や、庭先の花の色、娘の成長、旅先で出会った人々の表情なども、自然と書きたくなっていった。
書き続ける中で、思いがけない広がりもあった。猫のエピソードを10日ほど続けた後、猫に取材の打診があった。また、読んでくださっていた人から講演依頼をいただいたこともある。読者さんから「朝ドラを見ているみたい。明日が待ちきれない」とメッセージをいただいたこともあった。
書くことで誰かとつながり、さらにその縁が別の縁を呼ぶ——そんな連鎖が、日々の励みになっている。
もちろん、順風ばかりではない。いつも執筆は深夜、遅い時は就寝が午前3時をまわることもある。
座る時間が格段に増え、これでは長くかけないと、エネルギー配分を見直すために、 SNSでの発信を減らしたこともあった。
そうやって調整しながらでも続けている理由を、立ち止まって時々は思い出したいと思う。
なぜ、何の、誰のために書き始めたのか?
原点に戻る、それがまた明日からの力になる。
100、150日と過ぎる途中で、ときに工夫もしてみた。読者から募集した「ことばの種」をルーレットで選び、予想外のテーマに挑戦してみたり、仏像修理で話せないことを小説に託して表現してみたり。最近は、歩きながら音声入力をし、下書きをまとめたりしている。
そうやって形を変えながら、千日の道を歩んでいる。
毎月一度の仲間との報告会も、大きな支えだ。お互いの挑戦や停滞を率直に話し合い、笑いと真剣さが同居する時間だ。そこで得た視野やアイデアが、また次の日の言葉を育ててくれる。
書くことは、私にとってもはやかけがえのない営みだ。吉田が一刀ごとに木の中から像を掘り出すように、一文字ごとに、一言ごとに、日々の中から思いを掬い上げている。
千日という長い道のりは、追い風も向かい風も、波も嵐もある。恵みの雨の日もある。そのすべてを抱えて、一日一篇を積み重ねていく。
振り返れば、書き始めの頃には、思いもよらなかった景色が広がっている。それも毎日だ。
今は、目の回るような忙しさの中にいる。けれど、スマホやパソコンにたとえるなら、「コラムのアプリが常にバックグラウンドで動いている」ようなものだ。朝起きてから夜眠るまで、ふとした瞬間に言葉が立ち上がり、常に紡がれ続けている——そんな日々である。
これから先も、この未知の旅を続けていきたい。

