娘がずっと行きたがっていた、市内の図書館で開催された「まんがBASE」のイベントに足を運んだ。
会場は、空調のきいた図書館の2階の一室。受付で「大人の方もどうぞ」とやさしく声をかけられ、子どもの付き添いのつもりだった私は、思わず「えっ?大人も?いいんですか?」と聞き返してしまった。スタッフの方に「ちょうど空いていますから、どうぞどうぞ!」と促され、娘と私は、「タブレット作画体験」の席に並んで座ることになった。
スタッフの方が簡単に操作を説明してくださり、ソフトの基本的な扱いを一通り練習した後、いよいよ描画スタート。
娘は、描きたいキャラクターが前々から決まっていて、昨夜から本まで用意していた。レクチャー中も待ちきれない様子で、横で一気にサラサラと描き始めていた。しかし、そのつもりのなかった私は、何を描くか全く思い浮かばない。
私の状況を察してか、スタッフの方が「何を描くか迷ったら、こちらを参考に」と分厚い水色のファイルを開いてくださった。ずらりと並ぶ見本のキャラクターたち。知っているキャラクターは限られているが、その中で、最近SNSでもよく見かける、優しくそして精悍な眼差しの少年に心を惹かれた。実は、以前にも工房の子ども向けイベントで描いたことがあったキャラクターなので、親しみがあった。よし、今日もあの少年を描いてみようと、画面に向き合った。
周囲は小学生ばかり。小さな手のひらに握られたペンが、迷いなく液晶の上を走っていく。その様子を横目に、私はどこから描き始めればよいのかためらっていた。
子どもの頃にはあったはずの、ただワクワクと喜びだけで描いた「迷いのない線」は、どこへ消えてしまったのだろう?
躊躇いながら、「丸ペン」と「灰色」を選び、画面に「少年」の輪郭を探り始めた。すると、だんだんと、ゆっくりと、迷いがほどけ始めた。次第に、さ、さ、と線が増えていく。指先の感覚に集中していくうちに、静かな熱中が腹の底から湧き上がってくる。
娘は先に描き終え、次のブースへと夫と共に移動していった。見ず知らずの小学生の中に私はひとり取り残されたが、もはやそんなことも気にならなくなるほど、夢中で線を重ねていた。
と、その時。不意に、どこかから「さおりん、さおりん」と呼ぶ声が聞こえた。まさか、こんなところでビジネス用のニックネームが響くとは思わず、どこかの小学生が呼ばれているのだと聞き流していた。しかし、ずっと呼び続けられるので顔を上げてみると、そこにはPR仲間のこなつさんがいた。子どもだらけのイベントで偶然に再会し、驚きと笑いを分かち合った。
手を振り合って、再び画面に向かって色を塗る。描き忘れていた特徴的な痣に気づき、再度集中。
しばらくすると、脇や背後に気配が集まりはじめた。「見せてもらっていいですか?」と、小学生たちが次々と声をかけてくれる。その好奇心や純粋な尊敬の眼差しが、画面のキャラクターに新しい命を吹き込んでくれるような気がした。
「そうだね、彼はみんなのヒーローだ!」と心の中でつぶやくと同時に、大人としてちゃんと仕上げなければ、という謎のプレッシャーも湧き上がった(誰にも求められていないのに)。
巡回するスタッフさんが、そばを通るたびに私に声をかけてくれた。
「……♡×▲%、やってました?(聞き取れない)」 「…いえ」
「□▼○☆使ってました?(多分、何かのソフトの名前)」 「…いえ」
「何か、”そういうこと”をされている?」 「…いえ…(そういうことって、何?)」
ざっくりと色を塗ったところで、スタッフさんが印刷してくださりながら、「高知まんがBASEの本拠地でも、大人の人も自由に描かれているので、ぜひいらしてください」とお誘いくださった。「印刷するとまたいいでしょう」と、クリアファイルと一緒に差し出されたイラスト。言われてみると、手描きで描いたような生々しさがある。子どもの頃、夢中になって描いていた感覚が、ありありと蘇るようだった。
日常の喧騒から離れ、ただ一つのことに没頭する時間。あの頃の静かな興奮が、大人になった今、タブレットのシステマティックな画面を通じて、戻ってきてくれた。
以前、出会った言葉が思い浮かんだ。人が死ぬ前に後悔する5つの過ちのうちの一つだ。
“I wish I had the courage to live a life true to myself, not the life others expected of me.” ──「人の期待ではなく、自分に正直な人生を生きる勇気があったなら。」
誰かの期待に応えるうちに、いつしか置き去りにしていた「自分だけの線」。今日、私はその線を、ほんの少しだけ思い出した気がする。
たとえゆっくりでも、たとえ不器用でも、あの少年のまっすぐな瞳のように、自分の輪郭を、自分の人生を素直に描いていけたなら。
図書館の午後は、そんなささやかな「勇気」を、私に思い出させてくれたのだった。
高知まんがBASE 楽しいイベントたくさん!漫画がお好きな人はぜひチェックを。


