現代造佛所私記No.156「雨宿り」

今年は、肌で感じる限り、乾いた日が続いていた。午前11時頃には日も差し、「今日も暑いね」などと夫と言葉を交わしていただのが——。

突然、みるみるうちに空が鉛色になり、サーッと涼やかに雨が降り出した。日照り続きだったからだろう、その音は、どこか心身をひんやりと落ち着かせるようだった。

午後は、細い優しい雨音を耳にしながら、年季の入ったパソコンの画面と向かい合っていた。

資料作成に集中する耳に、軒下の野薔薇の葉が水を弾くのだろうか、時折、ごく軽く、リズミカルに、ト、ト、と水滴の音が入ってきた。心地よいなぁと思っていると、ふと玄関先に人の気配を感じた。

しかし、来客を告げるはずのインターフォンは鳴らない。通り過ぎる雨風の音でもない。だが、たしかに、そこに人が留まっている気配がする。

普段、我が家の周りは人っ子一人通らない。夏の盛りに差し掛かっても、近所の川で遊ぶ子どもの声が聞こえることがない。そんな場所で、まさか玄関先まで人が立ち止まるなど、あり得ないことだった。

不審に思い、そっと引き戸を開けて外に目をやれば、杖に体を預けた老婦人が、軒下でこちらに背を向けてたたずんでいらした。その背中の向こうの山の輪郭は、雨に煙って白くぼやけている。

「こんにちは」

そっと声をかけると、その人は、ハッと我に返ったように慌ててこちらを振り返られた。

「あらまぁ! こんにちは!」

それは、思いがけずも、昨年工房に足を運んでくださった顔見知りの女性であった。ちょうど一年前の夏、お孫さんの自由研究で仏像修理をテーマにしたいと、ご家族総出で取材にいらしてくださったのだ。

「工房の前の、あの自然のプールに、孫たちを連れて川遊びに来ていたんです。そしたら急に降り出してしまって…」

にこやかに話される女性の声に耳を傾ける。お孫さんたちが遊んでいるのは、私たちも時々足を浸して涼をとる場所だ。

さて、雨に濡れるのも厭わずはしゃぐ子どもたちとは違い、年を重ねた身には堪える雨である。周りを見渡せば、雨宿りできる場所など他にない。唯一の民家である我が家の軒下を借りていらしたのだった。

「お留守かと思いまして、勝手に雨宿りさせていただいておりました。申し訳ありません」

恐縮する女性に、私は慌てて言葉を返した。

「いいえ、いいえ、どうぞ、よかったら椅子をお使いください」

吉田の手作りのベンチの上で、気ままにくつろいでいた黒猫のウニの頭を撫で、「ちょっとだけ借りるよ」と囁き、女性に席を勧めた。ウニは、「ニャア」とわずかに不服そうな声を出したが、抱き上げて顎の下や背中を撫でてやると、ごろごろと喉を鳴らし始めた。

「まぁ、『ハリ』がおるね」

女性が少し目を見開いた。足元のバケツを覗き込めば、小さなメダカの赤ちゃんが、水草を避けながらピコピコと懸命に泳いでいる。この夏、新たに生まれた命たちである。メダカのささやかな命の営みに、しばし話に花が咲いた。

「あらあら、白い猫ちゃんも」

鍵をかけ忘れていた玄関から、白い猫の皓月(こうげつ)が、すらりと姿を現した。危うく脱走させてしまうところであった。皓月を驚かせないよう、そっと抱き上げ、女性との他愛ない話を続けた。仕事のこと、互いの健康のこと、なんてことのない世間話は、雨音に溶け込むように流れていった。

まもなく、お孫さんたちが、浮き輪を体に通したまま、軒先にやって来た。水辺で遊び尽くしたのだろう、唇は青白く、体が冷え切っているのが見て取れた。

「金魚? メダカ?」

日焼けした肌には水滴が残り、それを弾きながら、姉妹は睡蓮鉢とバケツを交互に覗き込む。メダカの餌やりを薦めると、彼女たちは首を振り、私の腕に抱かれた猫を一瞥し、あっさりと去っていった。

雨の日の珍しい客人を見送り、その辺を歩いてみた。

いつも歩く散歩道の、踵を返す地点の先に行ってみた。すると、広い畑の中にずんと立ち上がった芭蕉の木が、大きな葉を噴水のように開いて、ゆらゆらと揺れていた。そのすぐ足元には、女郎花の黄色いレースが、雨に濡れてひっそりと佇んでいた。草花も、人間も、種の別なく、静かな雨風に濡れ、揺れていた。

客人を連れてきたこの雨は、夜半になっても降ったり止んだりを繰り返しながら、優しく山を湿らせている。

それは、夏と秋の狭間に、一瞬の休息を与えてくれるような、涼やかな恵であった。