祈りのある家

山の神(土佐ヒノキ材、2017年)

「最近の家には祈りがない」

工房を訪ねてくださった地元の80代の男性が、木について色々と教えてくださる中、何気無くおっしゃいました。

昔の家にはあったものが失われた、それが「祈り」だと。

祭壇的なスペースがないことなのか、部材への感謝や畏敬のことなのか、建設の過程や暮らし方のことなのか、男性がどういう意味でおっしゃったのかわかりません。

限界集落、消滅集落に足を運ぶ機会が増え、放置された家屋や田畑に胸を傷めていた折のことで、その言葉はどこか心に留まるものがありました。

 

その傍で、一気に駆け抜けて行った春。

地元の東洋町はもちろん、法要などで伺った高知の嶺北地域、香南・香美市の山間、高知市内、いの町少し早い桜の開花を皮切りにどこも美しく華やいでいました。

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東洋町野根川の桜並木

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大豊町の棚田の風景

山と海に挟まれた高知県は、どのように車を走らせても山が車窓に見えることが多いです。桜満開の頃は、緑の山にポコポコと薄紅色の彩りが添えられ、若い娘さんが花飾りをつけたかのようでした。

いの町の風景

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香南市夜須町での花祭り

消えそうな集落、消えた集落、新たに若い世代が集まる街どこにも等しく春は訪れます。

崩れそうになっている廃屋や自然に還ろうとしている田畑を見ると、昔は春を喜ぶ賑やかな光景があっただろうことが想像されました。

時代によって、暮らし方・暮らす場所が変わっていくのは自然なこと。
でも、ここにあった歴史や文化が、語る人も文字もなく分断されつつあることを思うと、体の一部を失うかのような悲しさと痛みを感じました。

この痛みはなんだろう、もしかしたら「祈りのあった家」、「祈られてきた場所」を失うことに起因するのかもしれない…と、男性の言葉を温め続けていたある日。

一通のメールが届きました。

「山の神様の像が気になっておりました。
もしまだお手元にありましたら…我が家の守り神として大切にさせていただきます」

昨年11月の高知市ファウストギャラリーの個展にお見えになった女性からでした。新築の記念品の一つとして、ご自宅の床の間に御安置されたいとのこと。

弊所の「山の神」は吉田仏師のオリジナルで、特にご利益的な意味は持たせていないのですが、古来から山の神信仰は各地様々にあり、家内安全や子孫繁栄の象徴とされてきました。

祈りを受け止める器として、新たな住まいの守り神として、本像はこれから本当の「山の神」になっていくのでしょう。

どうか、ご家族様の健やかな日々を見守ってくださいますように…

 

「最近の家にも祈りがあるようです」
とあの男性に話せる日も近そうだと思った頃、春は緑輝く季節へと移り変わっておりました。

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