口伝が生まれるところ

「仏師」という生き方を選んだ吉田はじめ、日々神仏像制作・修理と共に生きる私たちが探し続けていることの一つ。

それは「口伝」です。

もしかしたら、気づいていないだけかも知れません。
目の前の仏像や自然が語っているようにも思います。
他の老舗工房では一子相伝で伝わっているかもしれません。
実体験から「これは伝えねば」と思うこともあります。

つまりまだまだ手探り状態、奥義には程遠いということです。

明治時代以降に多くの仏師が職を失い、その中で失われた口伝もあるのではないかと思うのですが、記録としては絶望的な状況(口伝ですし)。

残されたお像に刻まれた痕跡から推察するしかありません。

それに加え、今を生きる職人さんと対話することも重要だと考えています。

仏師含めどの業界の職人であれ、根底に流れる生き方には通じるものがあり、そこに仏師の口伝、真諦へ通じるキーワードが浮かんでくると思うからです。

そんな私たちが年初にご縁をいただいたのが、木に対峙し伝統の継承と革新に挑む人−
土佐備長炭「一」ICHIの近藤寿幸さんでした。

稼働している炭窯の横で建設中の窯。炭焼き職人代々で洗練されてきた形。

炭焼き職人の口伝に出会う

「一」。

幾重にも願いが込められたその屋号のように、彼の生み出す白炭、ビジョンはシンプルかつ鮮やかでこの上なく美しい。

滑らかな肌に澄み切った音。元々の木の大きさから約7割縮むそう。

色やにおい、温度、音、五感を最大限研ぎ澄ませる製炭は、まさに職人技。

炭窯を回りながら丁寧に炭焼きについてご説明くださる近藤さんが、何気なくおっしゃいました。

「師匠から”よだれを垂らすまで叩け”って言われてなんのことか分からんかったんですけど、自分が叩いてみて”ほんまや!”と分かりました」

思わずハッとしました。

土佐備長炭の歴史はまだ始まったばかり(約100年)ですが、炭焼き職人の口伝が確かにここで生まれつつある…と胸が震えるようでした。

炭窯の天井を叩く掛矢(カケヤ)。結構な重量があります。丈夫そうですがすでに五代目だそう。

全てを忘れ炭だけに注ぐ瞬間

備長炭づくりが途絶えていた高知県安芸市で、近藤さんにより息を吹き返した炭窯。

ご縁をいただき、先日炭窯にお邪魔してきました。

約束の時間になってもなぜか応答がなく、炭窯の横をそろーっと覗き込むと、一心に炭を切りそろえておられました。

ときどき仕事中にゾーンに入ることがあるそうで、初対面がまさにその只中だったという強烈な思い出をいただきました。

近藤さんの姿を初めて見たのは、ここに座り一心にカットする背中。備長炭を仕分けしたりカットするエリア。

そこから2時間はあっという間!
近藤さんの理念や思い、これまでのこと、描く未来、手塩にかけて育ている炭窯、備長炭の歴史…

窯の酸素濃度は微妙なコントロールが必要。この釘で調整を行うそう。
ここから出る空気の量を釘を並べることで調整。近藤さんのアイデア。

詳しくは、ぜひホームページをご覧ください。
https://tosabinchotan-ichi.com/

再会を約束して帰路につき振り返って見ると、近藤さんと炭窯の炎は、まま人と神様(自然神)の姿だったように思われました。

まっすぐ人や自然と向き合う姿に、口伝の生まれる場を見た気がします。