今日で99日目。
この連載のことだ。
「1000日書き続けよう」と決めて始めてみたものの、正直、三日坊主でもおかしくなかった。
続いたことの理由は、一緒に始めた友たちの存在と、協力してくれる家族、読んでくださる皆様のおかげだ。
そうでなければ、目の前のことに飲み込まれてとっくの昔に筆を置いていたと思う。書くと決めた、それを宣言した、その約束を守るためだけに1日の終わりにPCに向かう。
私以外の誰かにとって面白いものかどうかは別として、「毎日何かしら書くことはあるだろう」と考えていた。それは確かだと思う。しかし、なんとなく書けないで悶々と真っ白なPCの前でじっとする日もあった。
日々の暮らしの端に、言葉にしておきたいと思うことが一つは見つかる、そのたった一つの一文字目を打ち込んでみると、澱んだ流れが再びせせらいでいくように文字が編まれていく、そんなことも何度かあった。
そのたった一つを毎日思い出せること、そして、それをあなたと分かち合えることはなんと幸せなことだろう。
明日、100日目を迎える。今夜は、人間で言えば、ちょうど「お食い初め」を控えた前夜だ。首がすわり、顔つきも変わってくる時期だ。いま、わが子の100日祝いの写真を見返していて、そんなことを思い出した。
鯛、赤飯、煮しめに蛤のお吸い物。遠方でお祝いに来れないからと、実家の母がお頭付きの立派な鯛を冷蔵便で送ってくれた。
自宅のコンロから尻尾がはみ出してしまったけれど、とても美味しく焼けて、他の料理もどう言うわけか(?)うまくできた。吉田が「がんばったねー!」と心から労ってくれたのが素直に嬉しかった。
娘の小さな口もとへと、祝膳のひとつひとつが運ばれるのを、私はいちいち写真に撮った。食べ物の意味を知らずにキョトンとした娘の表情が、何度見てもおかしい。
「食べ物に困りませんように」
「元気に育ってくれますように」
あの時、祈っていたのは、未来の健やかさだけではなかった気がする。それまでの日々を、まず無事に過ごせたことへの安堵と、感謝。
この連載にも、似たものを感じる。
今日は、娘が「大好きしてー」と何度も言ってその度にハグをした。ふとした拍子に、こんなことを口にした。
「Yちゃん、赤ちゃんの時、いちごジャムの匂いがしたんでしょ?」
ああ、そうだった。赤ちゃんの頃、抱き上げたときにふわりと香った、頭のてっぺんの甘い匂い。
私は、そのまま娘を抱きしめながら、「そうだよ、いちごジャムそっくりの匂いがしていたよ」と返した。
すると、娘は照れながら顔をくしゃくしゃにして笑った。あの匂いはもうしない。でも、その記憶は、ずっと残っている。小さな娘のあの頃の香りは、かけがえのない思い出と祈りとを甘く包んでいる。
まもなく、100日。
このコラムも、やがて振り返るときが来るだろう。
「あの頃は、こんな匂いがしていたね」と、そんなふうに思い出せるくらいの芳香を、そこはかとなくまとっているだろうか。