現代造佛所私記No.91「インターン(18)最終回」

2025年5月31日、ドイツ人インターン生・Mariekeが高知を旅立った。

およそ3週間という時間は、長いようであまりにも短かったけれど、その一日一日が、驚くほど豊かで、まるで季節ごとの七十二候のように異なる光を持っていた。

出発の朝。余裕を持って電車に乗れるよう、ほんの少しだけ早く家を出た。

Mariekeを迎えに行くと、9歳の娘が紙切れをポケットからだし、おもむろに彼女に手渡した。後部座席でMariekeが息を呑む音が聞こえた。「Cute…!」Mariekeは目の周りを赤くして大きな瞳を潤ませていた。

「Ich werde eines Tages auch nach Deutschland kommen – warte auf mich!(いつか私もドイツに行くから、待っててね!)」

昨夜、娘は「明日、”あぁもうMariekeさんいないんだな”って思っちゃうのかな」とポツリとつぶやいた。そして、思いついたように、Mariekeにコピー用紙いっぱいに手紙を書いた。最後の一文だけ、ドイツ語で添えて。その下には、Mariekeと娘が並んだイラスト。

おしゃべりしたこと、一緒に遊んだこと、パスタを作ってくれたこと、娘のたくさんの「Danke」が綴られていた。次に来たら「お菓子パーティーをしようね」という約束まで。ふたりの間に生まれた言葉や遊びが、分かち合われていた。

英語で話すのが嫌だ、と積極的に話そうとはしなかった娘だが、確かにMariekeを歓迎し、最後の2日くらいは英語でも会話するようになった。

Mariekeは、車内で数人の日本人と電話で挨拶を交わし、高知からの旅立ちの時を迎えつつあった。

思いのほかスムーズに高知市内についたので、夫の発案では竹林寺(高知市)に立ち寄ることにした。吉田仏師の作品と出会い、遠い東の果てまで来てくれた彼女に、もう一つ作品を見せたかったということもある。

納経所に掲げられている観音様の懸仏(かけぼとけ)。古木の板に観音様と真鍮の花器が備え付けられたオーダーメイドで、ちょっと珍しい形式のものだ。

納経所の職員さんが、「落慶式の時にお会いしましたね。娘さん、大きくなられて!この仏様、お問合せもたくさんいただくんですよ」と温かくお声をかけてくださり、Mariekeが懸仏をそばで観られるよう、促してくださった。

15分ほどお参りしていこうと、庭園を歩き、本堂へと進んだ。お遍路さんが行き交っていた。それに気づいたMariekeに、四国霊場について簡単に説明した。

お遍路さんの発光するような白装束、「チリンチリン」という澄んだ持鈴の音に、私たちの心身も清められるようだった。

日も高くなった土曜日だが、境内には凛とした静けさがあり、空は晴れわたり、風はやさしく、まるで旅立ちを祝福しているかのようだった。

五重塔と緑のコントラスト、空の青さ、そして吉田仏師の作品との再会。Mariekeは心からこの場所を愛おしむように、何度も足を止め、シャッターを切っていた。

「本当に素晴らしい。何より人が多くないのがいいです」と人混みが苦手なMariekeは笑い、そして、「電車の時間をずらせないかな…」と、何度かつぶやいていた。笑って言ったけれど、本気だったのだと思う。

Mariekeは、旅の手帳を一枚破って、私たち家族に手紙を書いてくれていた。

スケッチされた阿羅漢像と、びっしりと綴られた言葉。3週間の滞在に対する、あふれる感謝と敬意、そして再会への希望が、静かな筆致で記されていた。

「Thank you Yasumasa for explaining me so much about Butsuzō.」

Mariekeは、Buddist statueとBuddhist sculptorのことを、Butsuzō、Busshiと日本語のまま言ってくれるようになった。それは本当に嬉しいことだった。

ハグをして、「Auf Wiedersehen」と交わした別れの言葉。Mariekeは電車に乗り込んだ。

ホームの黄色い線の内側ぎりぎりで、娘はシートに座ったMariekeに向かってよさこいを踊り続けていた。Mariekeが到着した日の夜、「運動会で踊るの。見て!」と披露していたダンスだ。

「通り過ぎていく人達が
みんながみんな笑ってるよ

空の青さに 全てをゆだねて
願いや 夢とか 語り合おう」
(GReeeeN この地へ~)

最後に列車の窓ごしに送りあった、ハートのハンドサイン。

それは、どうしても「終わり」には思えない、あたたかい余韻を残した。ゆっくりと発車した特急列車を、娘が追いかけて走る。伝えきれなかった言葉にできない思いを、彼女は幼い心と共にこれから温め育てていくだろう。

Marieke、またどこかで。きっと。

Auf Wiedersehen.