ついに高知最終日となった。
明朝、彼女は出発する。互いに別れについては触れないが、どこかで感じ合っているものがある。無言のうちに「最後までこのインターンを良きものにしようね」という約束を交わしているような、そんな空気が漂っていた。
今日は、Mariekeのたっての希望で、國友農園さんの茶畑と工場を訪問した。
彼女の実家がお茶の輸入販売をしていることもあり、この話が持ち上がってからぜひ國友社長と引き合わせたいと思っていたが、お忙しい茶摘みの時期でもあり、控えていた。
ところが来高翌日、参列を許されたお寺の大法要で、思いがけず國友社長とバッタリお会いした。
その直後、Mariekeは私のそばに来て、手を合わせるようにして「どうか、見学をお願いしてもらえませんか」と懇願したのだった。
その後、國友社長と連絡を取り合い、出発前日になんとか訪問の機会をいただけることに。
いつも明るく朗らかな國友社長の、次々とあふれ出るお茶の話。通訳が追いつかず、また専門的な内容は私にも訳しきれない部分があったが、Mariekeは言った。
「彼女がどれほど幸せかは、言葉がわからなくても伝わってきます。」
まずご案内いただいたのは、自然栽培のお茶畑。茶摘みの直後くらいにお邪魔した。見た目にはどこが畑かまったく分からない。本当に自然のままの姿で見守られ、時期が来たら丁寧に手摘みされるのだという。
「食べてみてください」
國友社長に促され、雨上がりでしっとりと濡れた生の茶葉をかじってみる。
なんという香気。十五分ほどたっても、喉の奥から鼻腔、口腔へと、清らかで奥深い香りがふわりと立ちのぼってくる。
続いて案内されたのは、霧がふんわりと立ちこめる山道の先。
「ここです」という声に促されて車を降りると、そこはもう異世界だった。
目に入るのは、どこまでも続く緑のうねり。音のない風が静かに茶の葉を揺らし、湿り気を帯びた空気が肌に優しい。
「ここは、人生でいちばん美しい場所」と、Mariekeはしみじみと呟く。今日は彫刻刀ではなく、スマートフォンを手に何度もシャッターを切っていた。ドイツの家族に見せるのだろう。
山の茶畑は、野生に近いかたちで植物たちが共生している。畝の規則性はなく、すべての木が、それぞれの時間を生きている。私たちはその場に身を委ねながら、それぞれの木からそっと葉を摘み、口に含み、味わった。
甘くふくよかな香りのあとに、すっと通る渋み。
深い旨味が広がったかと思えば、茶葉の繊維からキリッとした爽やかな風味が全体を引き締めていく。
驚いたのは、それぞれの木で風味が異なること。どれもそれぞれに美味しい。こんなに個性があるということを初めて知った。
しばし夢中になって味わっていると、風に誘われるようにモヤが立ちこめ、茶畑全体が白いヴェールに包まれた。まるで異国の茶畑にいるかのようだった。國友社長が「今の状態は、本当にダージリンのようです」とおっしゃった。
その後、製茶工場を見学。
そこには、こだわり抜かれた設備と、丁寧で誠実なものづくりの現場があった。
工場に併設された東屋で、國友社長自ら淹れてくださったお茶は、まさに「山の精」。何煎目にもわたり、香りと味わいが変化していく。植物たちが順に自己紹介をするように、香と風味が折り重なり、開いていく。
Mariekeは「Perfect day」と何度もつぶやき、そのひとつひとつの変化をゆっくりと楽しんでいた。
Mariekeは積極的に質問を私にしてくれたが、國友社長の解説を聞いていた私も理解が追いつかないこともあり、十分に通訳できなかった。それでも彼女は、身を乗り出すように耳を傾け、工場の隅々を観察していた。
私はどこか、この現場に仏像製作と通じる精神を感じていた。素材に向き合い、見えないものに耳を澄まし、ときに自然の力を借りて形にしていく営み。
ツリーハウスと東屋が並ぶ工場の敷地で、地元のカフェ「アオイネコ」さんのどこまでも丁寧なお味のお弁当を皆で囲んだ。お腹が一杯になる頃、國友社長がお茶を淹れてくださる。
なんと素敵なおもてなしだろう。お茶、お弁当はもちろん、森の香り、川の音、風の柔らかさ。すべてがごちそうだった。
この日を、最後のご褒美のように過ごせたことに、心から感謝している。