まきでら長谷寺への表参道は、苔むした石垣とむき出しの木の根に縁どられ、長年の風雨と足音を受けて、いまも息づいている。
あと数えるまでもない滞在期間を惜しみながら、日々を過ごす私たち。ハイキングが大好きなMariekeは、山の中の工房という環境を目の当たりにしてうずうずしていたのだろう。
来高当初から「おすすめのハイキングコースは」「雨上がりハイキングがてらお寺に行ってもいい?」など、居ても立ってもいられぬようだった。
そんなMariekeに、一度はハイキングを楽しませてあげたいと思っていた。二日ほど前から嵐明けの曇天を見計らい、本日決行することにした。Mariekeの嬉しそうな顔!
仕事の段取りを整え、急いで弁当をこしらえた。
出発時刻ぴったりに現れた吉田とMarieke。私はPCを閉じ、ひさしぶりに画面から解放される。運動不足の体をほぐしながら、山に向かって集中を高める。
ふかふかとした落ち葉の道、うねるように這う木の根、転がる石。2〜3mごとにたたずむ石仏に手を合わせながら登る。途中、普段はちょっとのことでは動じない彼女が、驚きの声をあげた。「Snake!」と顔を歪めた。小さなシマヘビだった。「動きが…もうダメなの」と隠そうともしない泣き顔、表情豊かな彼女に、道中は何度も笑わされた。
「よく見ると可愛いよ」と言うと、「そうかもしれない。でも、やっぱり無理」と小さく首を振る。虫には平気なのに、くねるものは苦手なのだと話す。その表情や言葉の端々に、彼女という人のいく層ものレイヤーが感じられた。
すっかり勢いを削がれてしまい、その後は、運動不足の私が先頭に立って登った。ひさびさに息を切らし、大粒の汗を流したころ、視界がぱっと開け、太平洋が遠く青く広がっていた。吹き抜ける風に、身体の熱がすっと引いていく。
展望台で広げたお弁当に、Mariekeは「これ、どうやって作ったの?」とひとつずつ訊ねる。「醤油とみりんで炒めて…」「このチキンはね…」そう語るうちに、彼女がもはや「お客様」ではないことを改めて知る。
食後、参拝へ。仁王像の足元にしゃがみこんだ彼女は、仕上げられた新補部分を静かに見つめ、やがて接着剤について尋ねた。仏像の表面だけでなく、素材や構造、時代ごとの変遷にまで関心を寄せている。見えない部分に光を当てようとするそのまなざしに、職人としての誠実さを感じずにはいられない。
森には、かつての屋敷跡を示す瓦片や陶片が静かに眠っていた。ひとが行き交い、祈り、暮らした気配が、木洩れ日のなかに微かに漂っている。
まさかこの道を、海の向こうから来た若い彫刻家と歩く日が来るとは思わなかった。言葉を選びながら、文化を渡り合いながら、穏やかに交わせる会話が確かにそこにあった。
Mariekeがぽつりと呟いた。「It’s a beautiful day…」その節目がちな瞳と、余韻を味わっている素直さ。
帰路の途中、すれ違った山風が肌を撫で、湿った土の匂いがかすかに鼻先をかすめた。語り合ったことも、笑い声も、ひとつひとつが景色に溶けては、からだに刻まれていく。今日という日を存分に味わい、その記憶は彼女の意識の奥へと静かに沈み始める。
「今度来た時は」
そんな枕詞が、聞かれるようになった1日だった。