朝から吉田仏師と二人で、平安時代の仏像の修理前の影をしていた。背景紙をひき、三脚を立て、光を調整し、カメラの設定を最適化しながら、像の細部を一枚ずつ丁寧に記録する。高価な機材はないが、三脚と一眼レフ、照明と背景紙を揃え、できる限りの環境を整えている。
Mariekeは、自分の彫刻に集中していたが、撮影の様子に気づき、「プロフェッショナル」とつぶやいた。
この2週間で、彼女は自発的にSNSでの発信も試みている。「あなたのはプロ、私のは子どもみたい」と笑うが、そこに自嘲はなく、素直な憧れと努力の気配があった。食事中、彼女は言った。「あんなに機材を揃えているんですね。私も考えなくちゃ。今の私のスマホはレンズにヒビが入っているんですよ。ママの古いカメラがあるから、あれを使えばもっと良い写真が取れると思う」と。
タコスを、好みのトッピングでそれぞれ頬張りながら、午前中の振り返りや残りの計画について話し合う。Mariekeがふと「あなたたちのお皿、クリーンですね!私のは…まるで小学生ね」と、私たちの皿と見比べて笑う。「こぼしすぎだよー」と吉田仏師も娘に話しかけているような口調だ。「おいしく食べられたらそれでパーフェクトよ!」と私。来日したばかりの頃の緊張は、もうどこにもなかった。
「撮影の後は何をしていたの?」とMariekeに問われ、「PCの前でペーパーをいくつもまとめていたよ」と答えた。契約書、企画書、確認書、日々、細かいドキュメント作業に埋もれている、と話すと、彼女はうなづきながら苦笑いしていた。「独立すると、事務仕事も山のようにあるんだよね」と話すと、彼女は深く頷いた。
「そうです、それはドイツでも同じ。パートナーも私もSNSもペーパーも苦手だから、あなたのような人がそばにいる安成先生が羨ましい」と、真面目とも冗談ともつかぬ調子で笑った。
それでも、課題を知り、できることから取り組もうとするその姿勢に、私は感心していた。技術があるだけでは、プロフェッショナルとして生きてはいけない。そのことを、Mariekeは深く理解していた。
ランチミーティングで早めに買い出しに出ることが決まり、3人で街へ出た。Mariekeは自分でカートを押し、アスパラガスと牛乳をかごに入れていた。「お礼に、明後日は私がごはんを作ります」と。どうやら、アスパラガスのクリームパスタを作ってくれるらしい。会計を終えたあと、「これ、ごちそうします」とほうじ茶ソフトを買ってくれた。
「美味しい!これはドイツでもきっと流行る。実家のお茶屋でも売りたい。」ソフトクリームを味わうその声には、家業の一員としてプロの響きがあった。
その時の彼女の写真を、あとで3人で見返した。青空の下、日本語と漢字の混ざった幟の前、ほうじ茶ソフトを手にした彼女が、屈託のない笑顔をこちらに向けている。「これは”日本旅行を楽しんでます”って一枚で伝わるね!」「私、笑うと皺がすごい!沙織の方が皺が少ない!」この写真がなんともおかしくて、3人でしばらく大笑いしてしまった。
帰宅後、夕飯の支度中にやってきたMariekeが「何か手伝うことはある?」と声をかけてくれた。夕食のドレッシング作りをお願いしレシピを伝えると、パッと顔を輝かせ、「家族の一員になれたみたい」とうれしそうに作ってくれた。
その膝には、猫の皓月がくつろぎ、彼女の腕をぺろぺろと舐めていた。「きっと皓月も、あなたのことを家族だと思ってるね」と言うと、彼女はそっと微笑み、猫を撫でた。
気がつけば、彼女がやってきて2週間が過ぎていた。仏像の彫り方だけではない。記録の意味、書類づくりの重み、SNSで見せる世界の作り方。それらすべてが「職業としての仏師」の一部だということを、ようやく伝えられた気がした。
それは、2週間、同じ釜の飯を食べ、共に暮らしてきたからこそ届いたことだった。
弟子を取るということは、きっとこういうことなのだろう。ただ技術だけでなく、暮らしを通して、在り方ごと伝える。効率ではなく、信頼と時間のうえに乗せて。
今日もまた、ひとつの佳き日が、確かに彼女の中に積み重なった。そう感じられることが、なにより嬉しい。