連夜の夜なべがたたったか、朝から身体が鉛のように重かった。休み休みでないと動けず、うっかりお皿を一枚割った。頭も鈍く、昨日書いたコラムは、半ば夢のなかで綴ったものだった。いざ読み返すと、誤字脱字に赤面する。
そんな一日も、暮れてようやく夕餉の支度が整った頃。玄関にやってきたMariekeが、ふと立ち止まり、川辺を指さして「There are many fireflies」と言った。
戸を開けて外へ出ると、嵐で洗われた川辺の闇に、ぽつぽつと灯が浮かんでいる。ここ数年しばらく見ぬほどの数だった。ふわり、ふわりと明滅しながら、光の粒が水際に揺れていた。
「It’s fantastic.」
Mariekeは、うっとりと見とれている。私のそばに飛んできた1匹をそっと掌で囲い、彼女の手のひらへ移した。蛍はしばらく光を宿したまま、彼女の甲を伝って歩いたのち、ふわりと舞い上がって、再び闇を照らした。
「ドイツにも蛍はいるの?」
「います。でも、こんなにたくさんは見られない」
蛍はドイツ語で「Glühwürmchen」というそうだ。何度か発音を真似してみたが、日本語にはない音が難しい。「Hotaru のほうが簡単ね」とMariekeが笑った。
このインターンシップは、満開の野薔薇に迎えられて始まった。仏像の製作や修理、調査。神社の月参りと雅楽。寺の稀有な法要。お茶、弓道の稽古、日曜市にラーメン、仕出し弁当、道の駅のボリュームタップリの唐揚げ弁当、そして家庭の素朴な料理。そんな流れの中で縁がつながり、お茶の農園や京都の寺での滞在も控えている。
その一日一日を、彼女は丁寧に楽しんでいるのが伝わってくる。
SNSが苦手だと話していた彼女が、今朝は珍しく投稿していた。「見たよ」と声をかけると、「あなたたちのSNSを見て、やらなきゃと思った」と、少し照れくさそうに笑った。
そういえば数日前、「独立するなら、SNSにも作品を出していかないとね」と話したばかりだった。私たちも得意ではない。でも、続けていたからこそ、あなたに見つけてもらえたのだと伝えた。何度も止めようとしたSNSだが、確かな意味があったのだと思える日がきたことは幸運だ。
本当のところ、最初は「本当に実在する人なのか_」と懐疑的で、慎重にやり取りしていた。でもSNSを見て、また丁寧なメールの文章を見て、安心したのだということを打ち明けた。
「あなたこそ丁寧だった。奨学金の実施機関のスタッフも、あなたのメールを見て感心していた。」
顔の見えないやり取りの中で、言葉を尽くすことが関係を温める。それは海を越えても同じなのだと胸が熱くなった。
彼女は今、「麺つゆ」と「ゆず果汁」、「柚子胡椒」に夢中だ。彼女のお母様の育てる柚子は香り高いが実が少ないという。スーパーで100%の果汁を見つけて、お土産にすると喜んでいた。市販のポン酢は便利そうだけど旅行には重すぎるというので、麺つゆと柚子で作るレシピを伝えた。めんつゆの作り方も、あとで送ってあげようと思う。
仏像の技術だけでなく、生活の中の営みを一緒に経験してもらえたこと。朝晩、虫や草花、空の色の移ろいまで、定点観測のように見てきた彼女が、それを故郷の大切な人たちに伝えようとしている。私たちにとっても、豊かでかけがえのない時間となった。
あと数日となったインターンシップ。仏頭はどこまで仕上がるかわからないが、仕上がらなくても良いのだと彼女はいう。
滞在中に、高知の田舎寿司も味わってほしい。シーフードが苦手で柚子が大好きな彼女なら、きっと気に入るだろう。
ドイツ語も英語も、日本語も交えて言葉を紡ぎながら、互いに笑い合った今日という一夜。
蛍の光が、彼女の日本での記憶をそっと包み込み、遠く離れた日々にもまた、淡い光を灯し続けてくれますように。