今日は、ヨーロッパからのインターン生Mさんを、お寺の法要へとお連れした。 到着の翌日で、まだ工房での作業は始まっていないが、日本の仏教とその周辺文化に、まずは触れていただくことができた。
「とても楽しみました」と、帰り際に見せてくれた笑顔に、安堵する。
向かう車中では、豊遊会の雅楽公演のDVDを流した。彼女は、祖国の伝統的な祭りをモチーフにした仮面作品を構想しているという。画面に「舞楽 陵王」が現れると、すっと身体を起こして見入っていた。不思議な音階に満ちた日本の古典音楽。何か引き込まれるものがあったのか、じっと聴き、舞を追いかけていた。
お寺では、初めて目にする位牌、袈裟、そして仏像たち。法鼓の響きとともに始まった法要。多くの僧侶がお経を唱える。香が焚かれ、祈りの空気が濃くなる中、参列者が静かに頭を垂れる。彼女も、その姿にならい、そっと手を合わせていた。
絶え間なく続く読経に耳を澄ませていると、「集中がどんどん深まった」と後から教えてくれた。彼女のご実家はキリスト教だというが、共通点を感じたという。
高知の人は、本当にオープンで人懐っこい。直会では、土佐弁でどんどんMさんに話しかけてくれた。Mさんも嬉しそうで、「Nice people!」と目を輝かせていた。人生初の“BENTŌ”は、今回の仕出しの和風弁当となった。魚介は苦手と聞いていたが、マグロの巻き寿司は気に入ったらしく、次は「カツオのたたきに挑戦する!」と意気込んでいる。
帰宅後、夕飯までのひとときには、客間で龍笛に挑戦。一音を出すまで、根気よく鏡の前で何度も試し、ついに鳴らせたときには、満面の笑み。今日初めて聞いた雅楽。気に入った曲は「陪臚」だという。
また、ご実家は世界中のお茶を輸入販売しているため、岡倉覚三(天心)「茶の本」を愛読し、日本の茶道や高知のお茶文化にも深い関心を寄せている。茶道具の話、職人の話、そして仏像、仏師の話。次々と話が湧き起こり、いつの間にか時計は21時を回っていた。
日本に長期滞在することを、ご家族は心配していなかった?と聞くと、なぜか見ず知らずの私たちのことを信頼してくださっているそうで、心よく送り出してくださったようだ。それを聞いて、改めて背筋が伸びる。
吉田仏師が特製のビリヤニとスパイスカレーを振る舞い、皆で囲んだ夕食。けれど、食卓に並んだご馳走に勝るとも劣らぬものがあった。それは、たどたどしい言葉を交わしながらも、確かに響き合う心のやりとりだった。
そしてふと、思った。「言葉って、もしかしたらそれほど重要ではないのかもしれない」と。
言葉の背後にあるまなざしや、呼吸の間、表情。そういうものの中に対話の主がいる。言葉はとても大切だけど、あくまで補助であって、それなしでも通じ合える奇跡があるのだと感じた1日だった。