現代造佛所私記 No.65「コックピットから」

2025年4月28日(月)〜5月4日(日)

この一週間は、コラムの執筆だけでなく、あらゆる仕事の打鍵音が鳴りっぱなしだった。

10歳にも満たない娘が「働きすぎだよ、休んで」と、夜中に懇願しにくるほどに。

忙しさは時に、感じることや、暮らしのなかで耳を澄ませる余白を奪ってしまう。それでも「毎日書く」と決めていることが、碇(いかり)のように私を繋ぎとめ、さらっと流れそうになる瞬間を捕まえる助けになってくれた。

気がつけば、それぞれのNo.の引き出しに、その日そのときの余韻のようなものが残っている。

指の間からこぼれていったような瞬間も、1100字ほどの結晶になって、ネットの海にゆらゆらと漂っている。

それが、どんな因果をもたらすのかは、わからないままに。

この一週間ほど、仕事と人生がまっすぐに地続きであることを、これほどまでに体験したことはなかったかもしれない。

日々のなかに折り重なるさまざまな階層──記憶、身体、暮らし、霊性、音楽、動物との共生──それらが互いに影響を与えながら、私というひとつの器を通じて表出している。

「一体何をしているんだろう?」

ふと我に返ると、ロボットの操縦席にいるような感覚。けれど身体にまるごと委ねて、ひたすらに“日々を渡る”ことしかできなかった。

過去の記憶、庭の花、音楽のこと、神仏の祈り、鍼灸、学会要旨、動物との共生…。
もしこれらをひとまとめにしたハッシュタグが並んでいたら、なんのこっちゃ?と戸惑う人もいるかもしれない。

けれど、それが私の日常であり、まさしく、これこそがリアルな「現代造佛所私記」なのだ。

先週1週間で、最も反応が多かったコラム:No.60「娘の顔」