2025年4月28日(月)〜5月4日(日)
この一週間は、コラムの執筆だけでなく、あらゆる仕事の打鍵音が鳴りっぱなしだった。
10歳にも満たない娘が「働きすぎだよ、休んで」と、夜中に懇願しにくるほどに。
忙しさは時に、感じることや、暮らしのなかで耳を澄ませる余白を奪ってしまう。それでも「毎日書く」と決めていることが、碇(いかり)のように私を繋ぎとめ、さらっと流れそうになる瞬間を捕まえる助けになってくれた。
気がつけば、それぞれのNo.の引き出しに、その日そのときの余韻のようなものが残っている。
指の間からこぼれていったような瞬間も、1100字ほどの結晶になって、ネットの海にゆらゆらと漂っている。
それが、どんな因果をもたらすのかは、わからないままに。
- No.58「最初の読者」野薔薇の開花と、最初の読者はいつも自分という発見。
- No.59「カタカタ、タン」打鍵音が響く工房と生活の地続きなありよう。
- No.60「娘の顔」母であり「娘」である今を見つめる時間。
- No.61「合奏を再び」久しぶりに再び楽箏をと仏師の申し出に歓喜。
- No.62「推敲と鍼灸」文章の推敲と鍼灸の共通点。
- No.63「香りのような何か」古仏から醸される香りのような何か。
- No.64「オペラ座の猫」老と病により片目の不自由な猫との静かな連休。
この一週間ほど、仕事と人生がまっすぐに地続きであることを、これほどまでに体験したことはなかったかもしれない。
日々のなかに折り重なるさまざまな階層──記憶、身体、暮らし、霊性、音楽、動物との共生──それらが互いに影響を与えながら、私というひとつの器を通じて表出している。
「一体何をしているんだろう?」
ふと我に返ると、ロボットの操縦席にいるような感覚。けれど身体にまるごと委ねて、ひたすらに“日々を渡る”ことしかできなかった。
過去の記憶、庭の花、音楽のこと、神仏の祈り、鍼灸、学会要旨、動物との共生…。
もしこれらをひとまとめにしたハッシュタグが並んでいたら、なんのこっちゃ?と戸惑う人もいるかもしれない。
けれど、それが私の日常であり、まさしく、これこそがリアルな「現代造佛所私記」なのだ。
先週1週間で、最も反応が多かったコラム:No.60「娘の顔」