現代造佛所私記 No.62「推敲と鍼灸」

「パチッ!」

小さな火玉が舞い、慌てて顔を背けた。一晩中四国を覆っていた嵐が去り、新緑がキラキラと輝く日だ。火を入れた炭が、今日はいつになく爆ぜている。嵐の影響だろうか。

日差しに力はあるが、家の中は肌寒さがうっすら残っている。
香とともに、炭火の温もりが薄墨が紙を染めるようにじんわりと滲んでいく。

私は机に向かってある原稿を読み返していた。
修正の提案が入った画面の前で考え込んでいると、「あれ?これは知っている感覚だ」と不意に意識が寄り道した。

――なんだろう?

何層にも重なる記憶のひだをめくりながら、教えを乞うた先達の言葉を読み進めていると、「あぁ」と思い当たった。

鍼灸治療だ。

私は数年前、突然甲状腺を患ったことがある。薬物療法と並行して受けた鍼灸治療に、随分と助けられた。

熟練の手が経絡をなぞり、経穴を確かめると、鍼をトントンと打つ。優しい刺激が身体中を流れ出す。

切った張った(物理的に)という西洋医療の世界にいたので、優しく心地よいけれど幾分あっさり目の施術が新鮮だった。

終わったあとの体の感覚に、驚いた。
体の奥底に泉があって、そこから滔々と溢れてくるような心地、体の中で川が流れるような、とでも言おうか。凝り固まっていた部分もほぐれ、体が重力を制して底から持ち上げられるようだった。

ときには、髪の毛よりも細いはずの鍼がズンと重たく響き、内出血したりもする。けれど、それも必要な治療だと、あとになってわかる。

そんな記憶が、受け取った添削と結びつく。

先生の言葉は、さりげなく、やわらかく短い。それでいて的確に経穴に刺入される。

もつれた、ぼんやりした文章に、言葉の鍼をトントンと刺し、示してくださる。
全体を無理に捻じ曲げたり、削ったりしない。けれど、指摘を受けた箇所から、全体のリズムが変わり、輪郭がくっきりしはじめる。

身体に効く鍼と、文章に効く言葉。

思考も文章も、流れが滞ると冷え、むくむ。
けれど、的確なひと刺しで、再びめぐり出す。

火鉢の香と相まって、鍼灸治療を受けたあとのように、推敲のあとは書く喜びが身体中をめぐっていた。