現代造佛所私記 No.61「合奏を再び」

5月1日、朔日詣りの日。

私たちは月に2度、氏神様にお詣りしている。

9世帯の集落で、私たち以外に月詣りにくる姿はなさそうだ。

前回はまだいくつか花を残していた参道の桜も、すっかり葉に覆われている。

南天の細い茎が小さな新芽をいただいてもしゃもしゃと茂り、まだ小さな梅の木は柔らかな可愛い葉をつけている。

あちこちに分布する茶の木は、小さな透き通るような茶葉をピンとたてて、八十八夜を思い出させた。

しきびの花の香りが、あたり一体に甘く漂っていた。毒があるというけれど、この季節だけの魅惑的な芳香だ。

参道を並んで歩き、鳥居をくぐって石段を登ると、青々とした初夏の気配が濃くなった。雨が降ったわけでもないのに、杉の根本の土は柔らかく、石段はしっとりした苔に覆われている。

運動不足を痛感する、長い石段。登り切った先に、一面の苔の絨毯の上に坐す静かな拝殿が眼前に現れた。

拝殿で祝詞を奏上し、龍笛で五常楽急をお供えした。ひととおりの奏楽を終えたその時、夫がぽつりと言った。

「次の月参りは、また拝殿に楽箏を持って行こうか」

一瞬、時が止まったように感じた。あまりに滑らかに、あまりに静かな一言だったから、うまく返事ができなかった。

「…本当に?合奏する?」

突然目をまん丸にした私の顔がおもしろかったんだろうか。夫がふっと笑った。

2024年の開眼法要での奉納演奏を最後に、夫は楽箏から遠ざかっていた。忙しく、余裕もなかったのだと思う。

私はというと、合奏したい気持ちはあったけれど、そんな夫にやろうよ、と声をかけることができずにいた。一人親方の重圧に耐えている彼に対し、いつも好き勝手やらせてもらっている負い目もあった。

それを素直に口にすると、「言ってくれればやるのに」と、夫は言った。

それが、こんなに嬉しいことだったとは。拝殿からの帰り道、その後の朝食中も何を話したか、あまり思い出せない。喜びでいっぱいすぎて。

ああ、また一緒に奏でられるのか、そう思うと思わず口角が上がる。

ただただ音を楽しむというだけのために、夫と合奏できるのは、本当に幸せなことだ。

「もう僕はいいよ」と演奏会から遠ざかっていた夫に遠慮していたからこそ、また「一緒に」と言ってもらえたことが、嬉しくて仕方がなかった。

人知れず伸びゆく山の新芽たちのように、私たちもこの山里で誰に聞かせるでもない音楽を奏でる。

お臍の周りを誰かにくすぐられているような、思わず笑みがこぼれるような、純粋な喜びに一日中浸っていた。