現代造佛所私記 No.580「悲しさと発見のミルフィーユ」

九月上旬に、仏像製作のお問い合わせをくださいました御方へ。

HPのフォームからご連絡いただきありがとうございました。何度か返信していますが、どうも届いていないようです。

今のところ、メールしか連絡手段がなく、ご相談にお答えしたいのですが他にご連絡の術がありません。

もしこのコラムをご覧になりましたら、迷惑メールフォルダに当工房からのメールが振り分けられていないか、ご確認いただけましたら幸いです。

メールが見当たらないようでしたら、お電話番号をお知らせいただけましたら、こちらからご連絡差し上げます。

どうぞよろしくお願いいたします。

努力をしても、思うような結果にならないことがある。

報われず、悲しいと思う。同時に、そこから見えてくる学びや、新たな視点は宝物だとも思う。

先日、そういうことがあって、「悲しさ」と「新鮮な発見」のミルフィーユを、私はバリバリと平らげた。

外から見れば、なんてことのない出来事だと思う。でも、私にとっては、少しほろ苦く、甘酸っぱい経験だった。

臍を曲げてしまっても仕方がない。お相手を責めても、つまらない。ならば、この経験を材料にして、心に美味しいものをつくれないか。

——そんな、食い意地の張った餓鬼を、私は飼っているらしい。

考えてみれば、人生は思う通りにいかないことのほうが多い。

生まれてくることも、死ぬことも、自分の意志だけではどうにもならない。老いも病も、避けて通ることはできない。

それなのに、これから起こることについて、あれこれと期待したり不安になったりする。

もちろん、未来のことについて計画を立てて、それを実行し、目標を達成することは、仕事においてとても大切なことだ。

「夢と期待と、計画かぁ」

「悲しさ」と「新鮮な発見」のミルフィーユを、もぐもぐと咀嚼しながら、ふと、鼻腔から「期待値」という香りが抜けていく。

そうか。

この「期待値」とやらが、少し膨らみすぎていたのかもしれない。

悲しかったことも、胸が痛んだことも、腹が立ったことも、どうやら「期待値」と現実との隙間から、ひょっこり顔を出してくる。

生理現象みたいだとも思うけど、それらを抱きしめるでもなく、放り投げるでもなく、ジャムを煮るように、ケーキを焼くように、少しずつ加工調理していく。

そうやって、人生で起こることから、何かひとつでも美味しいものをつくることができたなら。

ここに、そんなレシピをたくさん残していけたなら。

それも、悪くないね。