現代造佛所私記 No.58「最初の読者」

家の前に植えた野薔薇が、今年最初の花を咲かせた。

五年前、実家の裏庭で伸びていた野薔薇から小さな枝を一本もらって、土に挿した。真冬の雪にも、猛暑の日差しにも耐えながら、少しずつ枝葉を広げて、さしかけを覆っている。

蕾をたくさんつけているのには気づいていたが、咲くのはまだ先だと思っていた。

豊かにしげる緑の葉の中に、ホイップクリームのような白く丸い花が、朝日を受けて光っていた。

「咲いたねぇ。」

思ったより早い開花にほんの少し驚き、思わず呟いた。

あのひと枝がこんなに大きくなるなんて、5年前は想像もできなかった。

この1000日執筆チャレンジシリーズは、今日で58日目を迎えた。

このコラムは、日々の中で拾い集めた小さな出来事のかけらを、真っ白な画面に並べていくところから始まる。

それは、土に、種を蒔くような作業だ。

単に記憶の断片を並べているときは、そこから何が生まれるかよくわからない。
けれど、「あぁ、こんな情景もあった」「こんなことも感じた」とキーボードを叩くうちに、思いもよらない広がりを見せる。そこから枝葉を削ぎ、磨いて、編み上がっていく。

目の前に現れる最終稿は、いつも思いもよらなかった景色を描いている。

何が生まれるかわからないパソコン画面の前で、私はいつも最初の読者としてコラムを読んでいるのだ。

この一週間で綴ったコラムたちも、私に新たな景色を見せてくれた。

通り過ぎてしまいそうな日々の、ほんのわずかな心の動き。それを白い画面に植えていくうちに、
根を張り、芽吹き、やがて、誰かと私に新たな対話を生んでいく。

あなたの胸にも、ふとした言葉が残ることがあるかもしれない。その小さな種が、発芽のエネルギーを得て芽を出すこともあるだろう。

そうして、互いの暮らしの中に、ささやかな手応えが生まれるなら…。

それは、今朝、咲いたばかりの野薔薇に、思わず声をかけたときのように、なんとはなしに、うれしいことだと思う。

先週1週間で、最も反応が多かったコラム:No.54「隙間の音色」