現代造佛所私記 No.571「弔いあげ(後編)」

写真はそれなりにあるが、祖母個人のもの——着物や、書き物などは、おそらく残っていない。父が処分したのか、祖母の妹たちが形見分けしたのかわからない。子供の頃の私は、祖母の存在を、粗い白黒写真と位牌を通してしか、知ることができなかった。

それが不思議なことに、ここのところ、築百三十年を超えた実家に帰ると、会ったことのない祖母や曽祖父母の気配を、あちこちに感じるようになった。

今はもうない囲炉裏の煤を受けて黒光りする檜の大黒柱や、屋根板。

時代とともに暮らし方が変わり、減築されていった結果、不自然に切り取られた間取り。

そういうものを眺めていると、ここに、皆が住んでいたのだなあと思う。

家そのものから、昔の人たちの気配が、ふっと立ち上がってくるようなのだ。

自分と血のつながった、何世代も前の人たち。
近いようで遠く、遠いようでいて、なぜか無条件に懐かしい。

父は、祖母が病床で痛みに耐えていたときのことを、日記に書いている。それを小学生の頃、私や弟妹に読み聞かせてくれたことがあった。

あれは、祖母の命日の前だっただろうか。

子どもに涙を見せたことのなかった父が、初めて声を詰まらせた。

両脇で父にくっついていた弟や妹が、戸惑ったのか、少し揶揄うようなことを言った。

父は頬を拭い、少し間を置いて、また読み始めた。

少し離れた布団の中で、その様子を傍観していた私は、ぼんやりと思った。この光景は、きっと一生忘れないだろうな、と。

明日、弔い上げをする。

節目ではあるけれど、これで祖母のことを思わなくなるわけではない。むしろ、少しずつその存在感が私の中で増していく。

これからもきっと、折に触れてあなたのことを思いながら、私は生きていくのだと思う。

おばあちゃん。