朝の斎庭に、眩しい陽光が差し込んでいる。楽器や譜面を手に境内に入ると、すぐに汗ばむほど日差しを受けた。
澄み渡った空に、悠々と伸びる杉を見上げながら、「晴れてよかったねぇ」と声を掛け合う神官と伶人たち。
今日は、若一王子宮(高知県本山町)の本殿再建150年記念祭だ。
ジャリ、ジャリと、準備に勤しむ皆がならす玉砂利に、身も心もぎゅっぎゅっと禊がれていく。
拝殿前に雅な舞台が設えられていく中、龍笛組のリハーサルが始まった。初めて合わせたのに、不思議と呼吸が合う。吹き終えるとお互いにっこりと微笑みあった。
舞台の高欄(こうらん:柱の上端に装飾が施された木製の欄干)は、宮司自らが手がけたものだと後で知った。大工仕事がお得意らしく、境内の随所には、参拝の補助具や、ユニークな木工作品が並び、温かな心遣いが満ちていた。
舞台の準備とリハーサルを終えるころ、境内に次第に人が増え、賑やかな祝意が満ちてきた。懐かしい友人・知人の顔もあった。
この日は、令和6年度神道文化表彰を受賞された博雅会代表の岩佐堅志師を筆頭に、博雅会の方々、四国雅楽愛好家、愛知からも雅楽仲間が集まった。
皆で装束に身を包み、配置につく。氏子の皆様と共に列をなし、ご神事へ。
そして、管絃から宮司による朝日舞、そして陵王一具、朗詠、最後の長慶子へと、流れるような一瞬、あるいは永遠のようにも思えた奉納演奏。無事終えたときは、放心していた。
演奏が終わって間も無く、今度は空に紅白の餅が舞った。参列者たちが歓声を上げながら、手を伸ばす。記念祭のクライマックスにふさわしい、めでたい光景だった。
拝殿に直会の席が設けられ、郷土料理が振る舞われた。「乾杯だけ…」のはずが、随分ゆっくりと皆で大いに食べ、談笑した。どれも、土地の人々の心がこもった、滋味深い味わいだった。
伝統の音楽は、よく守られているからこそ、初対面の伶人同士でも、心を合わせ場を作り上げていける。そして、初めて聞く人にも、どこか「知っている」「理屈なく心に響く」印象を残す。それは、雅楽の大きな魅力だと思う。
たった数十分合奏しただけなのに、伶人たちは旧知の友人のような存在感を残して、それぞれの地へ帰っていった。
私たちも、たくさんのお餅や地元の果物、直会のお下がりを宝もののように車に積み込み、心も荷台もいっぱいにして帰路についた。
「トーロラリーイヤーロ、リータラトーリーフィー」
帰宅し、一息ついた私の脇から突然聞こえてきた歌声。
娘が舞楽「陵王」の唱歌を口ずさんでいた。驚いて顔を上げると、私の方をニコニコと見ながら歌い続けている。一緒に私も歌った。
いつか、一緒に演奏しようねと、娘を抱きしめた。
隙間の音色を積み重ねた先に、なんという豊かで幸せな一日を賜ったことだろう。
余韻を味わいながら、大神に深く感謝を捧げた。
本稿のプロローグ的なNo.54「隙間の音色」も合わせてどうぞ。