現代造佛所私記 No.536「突如開幕するスキット」

八月も半ばを過ぎると、小学生のいる家では、そろそろ宿題の進み具合が気になってくる保護者さんもいらっしゃると思う。

娘はワークブックこそ早々に仕上げたものの、大物を残したままお盆に入った。残るは面ボス(工作)、中ボス(読書感想文、図画)、そしてラスボス(自由研究)。これらをいかに攻略するのか、親としてはまんじりともせず様子を窺っている。

しかし、娘は慌てない。

「終わる気がしない〜」

と言いながら、今日も朝から大好きなアニメを繰り返し味わっている。

お茶の先輩であり、子育ての先輩でもあるお姉様にチャットでこぼすと、「夏休みの宿題は、親の宿題のようなものですよね」と返ってきた。

あぁ、確かにそうかもしれない。そして、聞きたくないが、聞いてしまった。

「宿題、大丈夫そう?」

娘は液晶画面に顔を向けたまま、

「うーん、やるー」

と答え、プリントを携えて、勉強場所にしているダイニングテーブルへ移動した。

この日は、読書感想文を仕上げるらしい。

祖父が米作りをしていたことから選んだ課題図書は、同世代の子どもが米作りに奮闘する実話である。田植えから収穫までの苦労を知り、ようやく実った新米に舌鼓を打つ場面を読んで、娘が最初に漏らした感想は、

「こんなお米が食べたい」

だった。

どうやら本を読んだだけでは、それ以上の感想文が書けないらしい。

そこで、実際に米作りをしていた祖父にインタビューをすることになった。

米作りに尽くした父は、孫娘の質問に、古いアルバムまで開きながら、微に入り細に入り答えてくれた。

それを、1200字にまとめる。このコラムが大体520〜800字くらいなのだから、それより長い文章である。

「どうやってそんなに書くの?」

と相談を受け、そこから母娘のキャッチボールが始まった。

「お米といえば?」
「それ、別の表現で言ってみて」

馴染みのない問いにうまく反応できず、

「うーん、わかんない」
「……」

と、だんだん声のトーンが下がっていく。

ところが、ある質問をしたときだった。娘の中で、何かの扉が突然開いた。

「それ聞いた時、何を連想した?」

「……手拭いをこうやって頭につけて、褌姿で、田下駄を履いてる人!」

「牛もいてねぇ——」

突然、娘が田植えをしている年配の男性を演じ始めた。自宅では彼の妻が煮炊きをしている。男は時には山へ入り、町へ出て、畑で採れたものを売る。

そしてある日、妻にかんざしを買って帰る。

喜ぶ妻。

気がつけば、江戸時代の農家を舞台にした一人芝居が始まっていた。

先ほどまで「何を書いたらいいのかわからない」と頭を抱えていたのが嘘のようである。

自分が知っている祖父の田んぼで、江戸時代のご先祖様も米作りをしていたという事実が、突然、彼女の中で生きた人間の暮らしとして立ち上がったらしい。

もちろん、実際には違うことのほうが多いだろう。

しかし、知識として知っていた「祖先」が、田んぼに立ち、妻と暮らし、山へ入り、家族のためにかんざしを買って帰る一人の人間になった。

夏の読書体験が、自分の暮らす土地と、そこに暮らしてきた人々の営みへとつながっていく。

遠い昔の話だったはずなのに、祖父の田んぼを介して、急に自分の足元の話になる。

私は仕事に戻った。

しかし、娘の一人芝居はその後もしばらく続いていた。

しかも、古墳時代にまで遡っていた。

娘は想像の中で、のびのびと動き回っている。

読書感想文を書くために始めた会話だったけれど、その日娘は、1200字の文章に収まらないほどの想像の世界に遊んだ。

宿題は、まだまだボスたちを残しているというのに、台所で無邪気にスキットを繰り出す娘。

こんな寄り道も、まぁいいか。私も、1500字近く書いてしまった。