現代造佛所私記 No.533「お堂の下のご遺体」

「お寺の床下に、毎日遺体が運び込まれました。母は当時15歳ごろ。匂いで食事も取れなくなったといってました」

古刹のご住職の穏やかな表情と、訥々とした語り口が、かえって当時の凄惨さを際立たせる。

お寺や地域のこれからについて語り合うそのテーブルの上は、81年前、死臭でいっぱいだったのだ。

1945年(昭和20年)7月4日未明、高知大空襲。高知市内は焦土と化した。

焼夷弾は、そのお寺の観音堂にも落ちてきた。——が、まさに観音力というべきか。爆発することなく、境内は燃えずに済んだのだという。

しかし、お寺の近隣の家々は燃え、多くの人が命を奪われた。空襲で亡くなった方々のご遺体が、次々と境内に運び込まれ、本堂の下に安置された。

「毎日、運び込まれたんです」

夏の盛り。本堂の下が埋め尽くされるほどのご遺体。

昨夜まで「おやすみ」「また明日」と言って眠りについた人たち。親がいて、子どもがいて、働き、食べ、眠り、変わらぬ朝を迎えるはずだった人たちだ。

その亡骸を前に、寺族の方々はどのような思いで日々を過ごしていたのだろう。

今、そのお寺には、たくさんの人が集まる。法事や法要をはじめ、毎月のように茶会が開かれ、落語があり、ヨガがあり、さまざまな催しで境内は賑わっている。

人が集まり、話し、笑う——その床下に、かつて無念のうちに命を奪われた人々の亡骸が安置されていた。

戦後生まれた私たちは、今その上でこのお寺と地域のこれからについて話しているのだ。

ご住職のお話を伺って改めて、今ここにある穏やかな時間の尊さが、胸にぎゅっと迫ってくる。

81年前、死臭に満ちていた場所であることを胸に刻み、未来について思いを巡らしていく。

人が集まり、茶を点て、笑い、語り合い、御仏の教えに触れる。その営みが、ずっと続いていくこと。それ以上に願うことはない。