「どうして、広島のことばかりテレビでやってるの?」
昨日、広島に関する報道が続くのを見て、娘が不思議そうに尋ねた。
「明日、8月6日だからだよ。聞いたことあるでしょう?広島に原子爆弾が投下された日。本当に悲惨で、決して忘れてはいけない出来事だから、Yちゃんも一緒に見よう」
あまりに衝撃が強く、子どもに見せるべきではないという声も耳にする。
私は、見せることも、語ることも、やめたくはない。
私自身、被爆直後の写真や映像、絵画に触れ、被爆者ご本人のお話を何度か伺う機会があった。幼い頃は、飛行機の音が聞こえるたびに窓へ駆け寄り、それが戦闘機ではないことを確かめては、胸をなで下ろすような日々を過ごしていた。戦争の記録・記憶は、それほどまでに恐ろしく心にのしかかり、「自分が生きている今」と地続きのことであり、決して遠い昔の出来事ではなかった。
朝八時十五分。家族で声を掛け合い、黙祷を捧げた。
そのまま三人で、広島平和記念式典の中継を、静かに見守る。
「私、戦争の絵本を読んだことがあるよ」
娘がテレビから目を離さないまま、小さくつぶやいた。
「ここにも爆弾落ちたの?」
「疎開してきた人、いたの?」
「どうして戦争をするの?」
一つひとつの問いに、私も夫も、ぽつり、ぽつりと言葉を返す。
夜は、家族で『この世界の片隅に』を見た。娘は最後まで画面から目を離さなかった。
「どうして戦争をするの?」
娘の問いに、私はまだ十分な答えを持っていない。
だからこそ、語り合い続けたいと思う。
自分自身にも問い、考え、祈る時間を、毎日のこととして。

