今、これを書いている間に、吉田仏師(夫)が得意のビリヤニとスパイスカレーを作ってくれている。今日の夕飯は、完全に夫まかせだ。
私は土間にある仕事机でPCに向かっているのだが、そのすぐ後ろが台所なので、どうしても美味しそうな音や香りに耳と鼻を預けてしまう。
まな板の上で野菜がリズムよく刻まれる音。具材を炒めるジュージュー、パチパチという音。サラサラと水で清める音。
ニンニク、生姜、クミン、ターメリック、カルダモン、コリアンダー。複数のスパイスの香りが立ち上り、そこに、刻みたてのパクチーとミントの香りが重なって、まるで異国のような空気に包まれる。
ビリヤニとラーメンの日は、我が家の台所は夫の独壇場となる。
いつから彼担当になったのか、なぜそうなったのか覚えていないけれど、きっと「彼が作った方が美味しいから」。それに尽きる。
何より、「刃物は任せろ」の人だ。作業場では彫刻刀や鋸、台所では2〜3種類の包丁を使い分ける。そんな人が台所で立てる音は、やはり無駄がなく、小気味よい。
彼の台所の音は、ある意味で“造仏の音”に通じている。私が勝手に繋げている。
彼に限らず、職人がものを扱う手の優しさ、厳しさ、美しさは、いつも心を打つ。
彼らのその積み重ねられた熟練の気配は、何気ない日常のひとときにも現れてしまう。
素材に向き合う時の表情や扱い方、匂いの重なり、火加減や水加減の絶妙な見極め。そのすべてが、造仏と同様、人の幸せを目指して積み重ねられていく。
ビリヤニが完成に近づく中、こんなことを思ったりした。
——仏像もこのビリヤニも、遥かな旅路を経て、仏師の手にたどり着いたのだ。
ペルシャからインドへ、そして日本へ。ビリヤニは、交易と文化の交差点から生まれた料理らしい。仏像と同じように、東西を越えて人々の間に受け継がれてきた。
両者は、遠い世界のもののようでいて意外と近いところにあり、それが一人の仏師の手で結ばれた。
そんなドラマチックな思いに浸っているうちに、「ごはんできたよ。今日のビリヤニはどうかなー」と夫の声。
「いただきます!!」
世界で一番美味しい「ビリヤニ」に手を合わせた。