現代造佛所私記 No.503「キーワードは豆袋」

最近、娘に好物ができた。

大豆と鶏胸肉をトマトとブイヨンで炒めて作る「トマトそぼろ」である。娘が名付けた簡単なおかずで、ご飯にもパンにもよく合う。

そのおかげで、水煮大豆を常備するようになった。

冷蔵庫にパックをしまいながら、ふと、アメリカで個人秘書をしていた頃のことを思い出した。

二十代後半から十年近く、年に一、二回、日本とアメリカを行き来していた。上司の家に住み込み、執筆のアシスタントをしながら、食事の用意や洗濯、掃除など、家事全般も担当していた。

上司は日本人で、ご主人はアメリカ人。バイリンガルファミリーだ。普段の暮らしで言葉に困ることはなかった。

それでも、ときどき来客があったり、パーティーに招かれたりすると、「英語を話せるようになれたらなぁ」と思った。

まとまった勉強時間は取れなかったが、家事の合間にラジオを聴いたり、英会話の動画を流したりして、聞こえた発音を真似するところから始めた。

外国語を口にするのは、とても勇気がいる。

ある日、「僕も日本では、“Mizu”というだけでも言葉が出なくなったよ」と、ご主人がおっしゃった。その言葉に背中を押され、家族団らんの中で、思い切って英語を口にしたことがある。

「Not bad.」

すると、その場にいた全員が吹き出した。

普段はクールなご主人も、シャイな御子息も、顔を真っ赤にして、お腹を抱えて笑っている。

「え? え? あれ? 通じない……。“悪くない”って何て言えばいいんですか?」

私が慌てて尋ねると、ご主人が笑いをこらえながら教えてくださった。

「それじゃ、『豆袋』です……!」

どうやら私の発音は、「Not bad」ではなく、「Nuts bag」に近かったらしい。

何について話していたのかはもう覚えていない。ただ、何かについて「うまくできた?」と尋ねられた私は、真面目な顔で突然「豆袋」と答えてしまったのである。

それから数か月後、再び渡米した。

夕食の支度をしていると、ご主人と御子息がお皿を並べながら、思い出したように笑い始めた。

「あの時のことを、いまだに思い出して笑っているよ。」

聞けば、その話は友人たちにも披露されたらしい。

遠い日本から来た、真面目な女性が、突然「豆袋」と言った。そんな出来事は、記憶に残るほど可笑しかったのだろう。

水煮大豆のパックを見て、何の境もなく笑い合ったあの時間を思い出す。

海の向こうで、今でも豆を見てふっと笑ってくれる人がいてくれたら。それはきっと、小さな国際平和への貢献である。