戦後二、三年ほど経った頃、高知県の表千家では毎月のお茶席「月釜」が始まったという。もう八十年近く前の話である。
先日、茶道の催しが終わり、後片付けを済ませて涼をとっていた時、別の社中の先生が、その頃のお話を聞かせてくださった。
終戦からまだ間もない時代。食べるものも着るものも十分ではなく、お菓子を用意することも、お道具を揃えることも容易ではなかった。
それでも当時の先生方は月釜を立ち上げ、茶室の外へ出て、道行く人に声をかけられたという。
「お茶をどうぞ。」
「前掛けをしたままで大丈夫ですよ。」
畑仕事や家事の途中、あるいは仕事の手を休めた人々が、汚れた服のまま一服のお茶を楽しんだ。本当に嬉しそうに召し上がっていたと伺い、その情景を思い浮かべるだけで胸が熱くなった。
「お茶ができることは、本当に幸せなことよね。今は道具に心を配ることも多いけれど、昔はそんなふうだったの。」
先生は終始、穏やかな笑みをたたえておられた。そのお声に触れ、襟が自然と正される思いがした。
先日には、ある宗匠から、戦後に家元となられた即中斎宗匠もまた、厳しい時代の中で茶会を重ねられていたことを伺ったばかりだった。
名物のお道具、美しい着物、吟味されたお抹茶。それらが揃ってこそ生まれる豊かさは確かにある。
けれど、何も十分ではなかった時代にも、人は湯を沸かし、茶を点て、ともに場をつくる喜びを分かち合っていた。
茶の湯が受け継いできたものは、伝統や作法、形式だけではないと、つくづく思う。
一定の約束と様式の中で、人の心を鎮め、人を迎え、ともに茶を味わう。そこには、互いを思いやり、敬い、感謝を育む知恵が、今でも息づいている。
戦後の混乱の中でも、その火を絶やさなかった先人たちのお志を、忘れまいと思う。
茶の湯とはただ湯をわかし茶を点ててのむばかりなることと知るべし
———千利休

