家事をしながらだったから、しっかり見たわけではない。テレビから聞こえてきた言葉に、夕食後の食器を下げる手を思わず止めた。
「ロードスターの車内インテリアは、茶室をモチーフにした」
ロードスターと茶室。あまりにも結びつかない二つだったからである。
気になって後から記事を探してみると、小さなにじり口から茶室へ入る高揚感や、削ぎ落とされた空間の美しさ、そして戸を閉める音までが、車づくりのヒントになっていたという。
開発担当者が一番参考になったと語っていたのは、「にじり口の戸を閉める音」だったそうだ。ドアを閉めたときに気持ちの良い音が響くよう、何度も工夫を重ねたと新聞記事にあった。
車という工業製品に、長年受け継がれてきた茶室の思想が息づいている。その発想に驚くと同時に、どこか納得するところもあった。
何か新しいものを生み出そうとする人は、確かに自分の専門だけを見ているわけではないなと。むしろ、発想のヒントを求めて、意外なところに着目したりする。
心地よさや美しさの本質を探しているうちに、思いもよらない分野へ自然と辿り着くことがあるのだろうな。
そんなことを考えているうちに、ずいぶん前の出来事を思い出した。
小指の爪に、小さな棘が刺さったことがある。
ほんの小さな棘なのに、嫌な痛みだけは続いた。ピンセットでも掴めないほど奥に入り込んでしまい、夫に勧められて一時間かけて総合病院へ向かった。
診察室で医師は一目見るなり言った。
「これは難しいですね。来週の火曜日に皮膚科の先生が来るので、その時に来てください。爪は剥がさないといけないでしょう」
診察はそれだけだった。一時間もかけて来ていただいたのに申し訳ありません、と看護師さんが頭を下げてくださった。
火曜日まであと六日。しかも、この小さな棘のために爪を剥がす。
仕方なく帰宅したものの、指先の鈍い痛みは変わらず、このまま数日待つことはもちろん、爪を剥がしたら日常生活にどう影響するだろうと考えると暗澹たる思いがした。
荷物を下ろした夫が、「ちょっと待ってて」と彫刻刀を持ってきた。
「少しだけ表面を削ってみる」
そう言って、コンマミリ単位で棘の周囲に、サク、サクと刃を入れていく。木を彫る時と変わらない手つきで、まるで自分が木材になった気分だった。
薄く何度か削ると、埋もれていた棘の頭が現れた。夫は彫刻刀を置き、今度はピンセットに持ち替えて、すっと棘を抜いた。
あれほど続いていた痛みが、一瞬で消えて、思わず大きく息をついた。病院で感じた絶望が、嘘のように晴れた。
もちろん、その場で示された診立てには理由があったのだと思う。けれど、爪をごくわずかに削って棘を取り出すという発想は、仏師として木を彫り続けてきた経験から自然に生まれたものだった。
そういえば、江戸時代には入れ歯を作る仏師もいて、資料が残っている。
ものづくりの技術や経験と、医学や工学、あるいは別の専門分野。それぞれが交わったときには、一つの世界だけでは思いつかなかった答えが生まれることがある。
茶室の思想がロードスターに息づくように。
仏師が木を彫る手の感覚が、小さな棘を抜く助けになるように。
まったく違う世界に見えるもの同士が、思いがけない場所でつながる瞬間は、なぜこんなに胸をときめかせるのだろう。
仏像づくりにも、まだ誰も気づいていない「何か」が眠っているのかもしれない。
そう考えると、遠足前夜の子どものように目が冴えてくるのだった。

