現代造佛所私記 No.494「世間話」

機械は高額だし、壊さないように気を使う。借りることもできるけど、皆が借りたい日が重なるから行き渡らない。

家のそばのカフェで、兼業農家の方から米作りの苦労がポロッと溢れた。

実父が2年前に最後の稲刈りを終えたところなので、そのご苦労はよく知るところだった。

さらに遡ると、祖父母の時代は、親戚一同、牛も一緒になって米作りをしていたと聞いている。白黒の写真を見ては、時代を感じたものだった。

「機械が難しい今、いっそのこと牛はどうですかねぇ」

「牛!かえらしい(可愛らしい)けどねぇ…。けんど確かに、昔は牛舎があったりして一緒に米作ったりしよったわねぇ。」

燃料や肥料の高騰、人手不足、農機具の共同利用の難しさ。お話を伺いながら、戦後の貧しい時代に米作りをしていた祖父母の、アルバムに収まった若かりしころの姿が思い出された。

目の前の人生の先輩方の話が弾む。

肥溜めがあって、幼い頃は家の人がそれを運ぶのを手伝ったこと。そして、昔のトイレ事情を分かち合い笑い合ったり、この地域の昔の畑の様子を教えてくださったり。豊かな思い出が、眼前の景色にオーバーラップして、何百人といたこの集落の人々の営みが見えてくるようだった。

吉田さん、同世代やないでねぇ、どういて(どうして)同じ話ができるんやろう、と笑われた。

高知の端っこの過疎地で生まれ育った私は、昭和後期に生まれたものの、明治生まれの人たちの暮らしぶりや、古民家のリアルな生活様式にそこそこ触れられたのだ。

季節は巡り、時代は変わっていく。人の流れも家族のあり方も。

「このままやったら、ここはほんまに廃れてしまう。」

テーブル向こうに掛けた美しい白髪の女性の横顔には、抗うでもなく、嘆くのでもない、現実を見つめる覚悟が滲んで見えた。

名物の出汁のよく効いたうどんをいただき、食後にコーヒーを飲む。

この景色も、この味も、この人たちとの時間も。いつまでこうして味わうことができるのだろう。