大学時代、私はひょんなことから劇団の宣伝美術を任されることになった。
小さな学生劇団で、他の劇団員より多少絵心がある、というだけの理由だった。全く経験はなかった。
そんな状態で、入団1ヶ月後に作った最初のチラシ。タイトルや日時、場所などの最低限の情報、あとは脚本のモチーフになった花の色をほんの少しあしらっただけの、極めてシンプルなものだった。座長がOKしたデザインではあったが、劇団員からは「えっ、これだけ?」という反応だった。
皆が不平を言うわけでもないのが辛かった。その拙い簡素すぎるチラシを、あちこちの劇場へ挟み込みに行き、学内でも配っている光景を見て、申し訳なく、そして悔しいと思った。
デザインの勉強などしたことがなかった私は、とにかくたくさんのチラシを集めて研究した。美術館へ行き、雑誌を読み、印象に残るものは切り抜いたりメモしたり。
どういうわけか、その次も宣伝美術として起用してもらった。座長がイギリスの有名な古典を脚色して、悲劇のアウトラインはそのままに内容をハッピーエンドにした意欲作だった。
私は、古典作品のイメージをなぞりつつ、主人公が舌を出し悪戯っぽい表情をしたイラストを全面に書いた。前回のチラシとは随分趣向が違った。
私は役者もしていたので、だんだん真夏の気配が色濃くなるキャンパスで、稽古三昧の日々を送っていた。
そんなある日、制作担当に一本の電話がかかってきた。
「久々に、チラシを見て芝居を観たくなって」
演劇雑誌のライターからだった。劇団員はざわめいた。皆が、宣伝美術の仕事を讃えてくれた。
まさか自分の作ったチラシが、誰かの心を動かし、専門誌のライターさんを呼び込めるなんて!信じられないような、でも嬉しくて仕方ない、経験したことのない感情を味わった。
その時の公演は記事にはならなかったが、その後のオリジナル脚本のコメディでは演劇雑誌から正式に取材申し込みがあり、掲載につながった。
あの頃の劇団のチラシは、予算もあって基本的に二色刷りだった。当時は手作業で切り貼りしながら版下を作り、印刷所へ持ち込んでいた。
「Macがあれば一発なのにねぇ」と印刷会社の社長さんが、版下を確かめながら笑っていた。けれど、「2色でもこんなに雰囲気が出せるんだね」「これはすごい、工夫したね」と、フィードバックをくれた。今振り返ってみると、「なんとかマシなものを」と工夫していた私への、優しいまなざしがあった。
私に任せてくれた座長、あの電話をくれたライターさん、印刷会社の社長さんは、今もどこかで元気にされていると良いな。私の「伝える」意識を変えてくれた存在。遅すぎるけど、今やっと理解できた。
そんな、18歳の頃に芽生えた宣伝美術の小さな火が、形を変えて今また再燃するとは。
(後編へ続く)
※アイキャッチ画像は、ある寺院の小冊子の挿絵(制作途中の様子)。伝えることを助けるためのイラストだった。