現代造佛所私記 No.489「Noから始まる」

今後のために勉強したいことがあり、夫に相談した。返事は「今の工房の状況では無理だよ」。

「そうだよね…」としょんぼりしてしまったが、その「No」を聞いたあとも、勉強したい小さな火は、ちっとも消えない。

「ああ、私はやっぱり学びたいんだな」

そう思って自分の気持ちを眺めていると、「それなら工房の仕事と両立できる方法はないだろうか」と、別のアイデアが浮かんできた。

「No」と言われたからこそ、本当にやりたいことなのだと気づいたのかもしれない。

そういえば子どもの頃も、似たようなことがあった。ある私立中学校へ行きたいと親に話したことがある。

「そんなお金はない。」

返事は一言。そうか、と私はあっさり引き下がった。けれど、進学したい気持ちは消えなかった。

「ならば高校受験でその学校へ行こう」と目標を変えたのだ。中学校は、地元の公立で伸び伸びと、良い先生や友人に恵まれて、楽しく過ごした。

3年後にその学校に進学し、一生の友人とも出会えた。そして、あの頃想像した以上の未来が、その先に待っていた。

今なら親の気持ちも少し分かる。きっと行かせてやれなかったことを抱えていたのではないかな。高校受験では少しだけ寂しそうな顔をして、背中を押してくれた。

私が寮に入る日、家族皆が寮に送り届けてくれた後、父が一言呟いて黙ってしまった。

「お父さん、帰りはしゃべらんきね」

中学まで家で暮らせてよかったと、当時を振り返る。私を皮切りに、弟も妹も中学卒業後家を離れ、高校では寮生活を満喫した。

だから今、あの頃の自分を抱きしめてやりたい。「あきらめなくてよかったね。その先には、こんな面白い未来が待っていたよ」と。

こうして振り返ると、これまで「No」は終わりではなかった。

Noはいつも分岐点で、その先には思いもよらない出会いや景色が待っていた。

だから今日の「No」も、いつか振り返れば、始まりだったと思える日が来るのではないかな。

ちなみに、今回勉強したいと思ったことについては、別の機会に書こうと思う。まだ始まってもいない話だから。またそのうちに。