軍手越しにもわかる、鋭さ。
まるで水晶玉のような露をポロ、ポロと落としながらカヤを刈っていく。
一握り分刈るとバサッと露を払い、根本をトントンと揃えてざぶざぶと水に潜らせる。
軽く水気を拭き取る手のひらに、クックッと皮膚を切り裂かんとする力が数ミリの繊維を隔てて伝わってくる。素手なら、とっくに血を見ているだろう。切り傷の痛みを思い出し目が細くなるのと入れ違いに、今日は「この鋭さあってこそ」と力が湧いていくる。
今日は一年の半分の最後の日、6月30日だ。
夏越の払えを知ったのは、東京に暮らしていた頃にお参りした氏神様の張り紙だった。お祭りのお知らせが境内に掲示されていたのを見たのが最初だ。
高知に来てからは、茅の輪潜りを用意してくださる神社も知り、お参りできる時は家族で、いけない年は家の周りのカヤで小さな茅の輪を綯って、玄関に飾る。
今年は、仕事の都合で山を降りられない。それで、朝からカヤ刈りをした。
半年のうちに、それはそれは数えきれないほどの罪穢れを蓄えてきたはずだ。無理をしたこと、言葉足りなかったこと、人に与えた不快、素直に受け取れない心、自分を責める心、肉体に絶えずあらわれる穢れも含めて。
上半期のことを思い出し、沈殿したその重い塊をカヤに託し、千々に切り裂いて清めてくださいと願いながら綯う。
「蘇民将来之子孫也」
とぶつぶつ唱えながら、ささっと作る。カヤの鋭さを歓迎しながら、青々とした香りを吸い込むと、なんだか心身がスッキリしてくる。
茅の輪は、水引でキュッと締めて完成だ。
出来立ての茅の輪が、玄関先に涼やかだ。
夕方に家族が揃ったら、形代に息を込めて小川に流しにいこう。


